【 Care’s World case 02 地域の看護師として一人一人に手を差し伸べるケアを 〜 ケアサポートステーションすみれ 種子田裕香さん 〜 / -後編- 】
前編では、裕香さんが福祉タクシー事業を始めるに至った経緯等について伺いました。
後編では、福祉タクシー事業を通して見えてきた地域の実情や地域の看護師としてどう一人一人と向き合っているかについて深掘りしていきます。
前編はこちら。
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生き甲斐がもたらすもの
裕香:ある農家さん(※奥さんと二人暮らし)のお話なのですが、認知症の症状も出始めて、失禁もある方だったんです。あまり畑の管理もきちんとできていない状態でした。
それでも、毎朝売り物にならないのに、野菜を採って出荷されていて…。話を聞くと、昔はやり手の農家さんだったみたいでした。一番輝いていた若い頃を思い出しているからか、毎日必ずその一連の作業をされるんです。
その行為が私は「すごい」と思い、ちょくちょく顔を出して、一緒に収穫する作業を手伝うようになりました。そうすることで、外にも頻繁に出るようになったんです。
畑の作業をすることで怪我の可能性もあるのですが、ご家族からは「本人の生き甲斐としてやっているので、尊重してほしい。」とおっしゃってくださいました。今でもご家族と連携を図りながら、地域の看護師として、見守りを続けています。
個人的には人間らしさに携われることが何よりも嬉しいです。私の元気の源にもなっていて。その農家さんの後に行ったお客様には必ず「あんた、野菜の匂いがするね」と言われます(笑)。
裕香:その農家さんについて1つ驚いたことがありました。定期的に野菜の収穫をすることで失禁の症状が無くなったんです。そこでかかりつけ医に経緯を説明しに行くと、驚かれて。
実は、その奥さんもリウマチの症状があり、痛さが原因で引きこもりがちだったんです。でも、旦那さんが野菜を収穫されているのを見て「自分もしなきゃ」と思ったみたいで、一緒に収穫を始めました。
痛みはあるはずなんです。でも、やり始めたら気持ちが入って、表情がにこやかになり、手つきも今までと違い、動きが良くなってきて。さらに、病院受診同行の際に薬の減量を医師に提案したところ、ご家族からは「飲む薬の量も減ってきた」と報告がありました。痛みもないと。
最近だと、作業中に近所の子どもたちが遊んでいるのを見かけたようで「久しぶりに子どもを見たわ」と嬉しそうに教えてくださいました。これが私のやりたかった地域看護であり、同時に、私の生き甲斐だと感じています。実践を通して、もっと地域で働ける看護師が増えてほしい気持ちも強くなりました。
地域の看護師としての積み重ね
裕香:ただ、こういう動きをしているとよく聞かれるんです。「何のために行っているのか?」って。確かに、私の活動は世間一般的な看護師がしている行動とは違うので、説明は難しいと思っています。
だから「地域の看護師として行っている」「困ったことがあれば出向くので、情報提供してほしいし、気がついたことがあれば私からも連絡する」と伝えています。
そんなやりとりをしていると、あるケアマネさんから「福祉タクシーは送迎だけの業種かと思っていたけど、相談しやすくなったよ。利用者さんの状況を聞けるようになって、非常に助かっている。」と嬉しい言葉をいただきました。
最近だと包括や警察から利用者の情報提供を依頼されたりといったことも増えてきています。「地域の看護師として見守りをしている」と言い続けること。
そして、言葉とともに、実践を積み重ねることで信頼関係が公的機関とも生まれつつあります。地域の実情を知っているからこそ「この地区のことなら種子田さん」と認知してもらって、少しずつ関係機関とも連携が図れるようになってきました。
裕香:今一番の課題は障がいの特性をもつ方の困りごとをどうするかです。特殊な車両でないと、福祉タクシーでお連れできない方も結構いらっしゃって…。毎週利用すると、相当な費用がかさんでしまうのが現実なんです。
一番の後悔は、経済的理由で病院に行けず、うまく支援ができず亡くなってしまった方のケースです。その方は少しでも家に入ろうとすると声を荒げて怒りを露わにするタイプの人でした。
関係機関から相談があり、私が訪問した際も「上がってくるんじゃない!」と言われました。理由を尋ねると「訪問してくる人は生活状況をみて、何も知らないのに色々アドバイスしてくるけど、今の私があるのはこうしていないと生きていけなかったからなのよ」と言うのです。
確かに、家の中は物が散乱し異臭も漂っていました。「でも、あんたはそんな私の気持ちを聞いて、今の状況を受け止めてくれたがね…」と言って、中に入れてくださいました。
私が一番大切にしているのは、その人の生活歴です。きっと、みんな何かがあって今がある。どんなに拒否されたとしても、そこで終わりにせず、その人がどういう状況で生活してきたのかを知れたら、もっと介入しやすくなると思っています。
当たり前のように、一人一人に手を差し伸べる
裕香:先ほどお話した方は、その後、亡くなってしまいました。結局、1〜2回しかお会いすることしかできませんでした。実は、その方とはもう1つ忘れられないエピソードがあって。それは福祉タクシーの初回訪問の時のことでした。
部屋に入ると、テーブルに編み物が置いてあって「これは何ですか?」と尋ねてみたんです。すると「これは自分で編んだもので煩悩の108と同じ数で繋げているんだよ」と教えてくださいました。
心魅かれて買いたい旨を伝えると「種子田さん、もらって」と言ってくださったんです。それは今でも事務所に大事に置いてあります。私自身、辛いことがあれば「今日もこんなことがあってね…。」と話しかけています。
障がいといっても、いろいろな特性がありますし、自分の想いを発信しづらい人もいると思います。それで世の中と疎遠になってしまって、孤独死を迎えてしまうことだってある。きっと、その方は気持ちでは死にきれていなかったのではないかと思います。亡くなった顔を見て、そんな風に感じました。
だからこそ、どんな人だろうと自分らしく生きられるようになってほしい。そんな気持ちで、今まで以上に様々な方のもとへ出向くようになりました。
裕香:看護病棟に勤めていた時は患者さんに寄り添うスタンスでした。地域の看護師になった今は一人一人に手を差し伸べるということが当たり前というスタンスな気がします。
当たり前にできることだって、無理だと言われることだって、手を差し伸べるような看護師でありたい。そんな気持ちで日々現場に臨んでいます。
生まれてから死ぬまで、家族だったり、友人だったり、地域の人だったり、きっと誰かしら何らかのカタチでケアをしてもらっているはずです。でも、それが今は当たり前にできない時代になってきているのではないかと感じていて…。
以前、道端に倒れていた高齢者に声をかけると「数日間、その場所から動けなかった」と話されました。骨折や失禁もあり、状態的にも悪いのに、誰も声すらかけていなかったと思うと寂しい気持ちになります。
手を差し伸べるかどうか、それだけで一人の命が助かる境界線も変わってくるはずです。だからこそ、そんなケアをずっと継続できる地域の看護師でありたいと思います。
(終わり)
(前編はこちら)