短編小説:山の風景
私は理想の高い夢想家であった。私には、私こそが次の芸術を生み出すのだという意志があった。
私は彼をいつもバカにしていた。芸術大學の同窓である田中は、愚鈍で凡庸な男であった。
私は寮でも課題でも常に彼の面倒をみてやっていた。凡庸な田中は作品まで凡庸で、彼が作る作品は常に誰かの模倣に過ぎず、そんなものは芸術ではないと私は彼を怒鳴り、彼の作品を上から塗りつぶすことさえ日常であった。
大學卒業後、私は就職もせずすぐに画家として独り立ちした。いっぱしの芸術家気取りであった。次の新しい芸術を私が生み出すのだと傲慢にも思い、世界中から称賛されることを疑っていなかった。
ところが何年たっても世間は一向に私の生み出す作品に見向きもしなかった。
私は凡人には理解できぬと、孤高の芸術家を気取り続けるばかりであった。
食うに困り請け負う小さな萬屋の特売広告は私をドンドン卑屈にさせた。
そんな折、新聞で田中を見かけた。
田中は大学卒業後、田舎の中学校の美術教師になった。田中の才能ならその程度がせいぜいだろうと当時の私は思っていた。
その田中が巴里で個展を開き、仏蘭西で賞賛されたという記事であった。
私は、愕然とした。あの、田中が。
他の誰かの間違いではないだろうか。そう思い、なにげなく読み飛ばそうとした記事に仔細に目を通した。年齢、出身、出身大學、私が知っている田中に相違なかった。
その記事は凱旋個展が銀座デパァトで開かれる旨と共に結ばれていた。
私が、何十年と二階建ての古ぼけたアパートに住み、一枚の絵も売れずチラシのイラストで糊口をしのいでいるというのに、写真に写る田中はひげを蓄え、上等なベレヱ帽と三つ揃えのスーツの羽振りの良さそうな紳士然とした雰囲気をしていた。笑顔だけは昔のままの愚鈍で凡庸な人の好さそうな顔であった。
私はそれ以上耐えられず乱暴に新聞を投げ捨てた。何十年換えていない、けば立った畳の上をよれた新聞がみじめに飛び、スナ壁にあたった。
翌週私は銀座に出かけた。見たいのか見たくないのか、会いたいのか会いたくないのか、出かける段になっても分からなかった。
地下鉄で逡巡し、デパァトの入り口で逡巡し、個展会場の入り口で逡巡した。
会場入り口に来てすら、決心がつかなかった。
「もしかして、K?」後ろから声をかける男がいた。
振り向く前から誰だか私には分かっていた。
「来てくれたんだ。ありがとう。会いたかったよ。君にぜひ見てもらいたかったんだ。こんなうれしいことはない。ぜひ、見て行ってくれ」
昔と寸分変わらぬ人の良さそうな笑顔で私にそう話しかけ、田中は私の背中を強引に押して会場の中に入った。
田中の周りにはすぐに記者やどこかの偉い人が集まった。
彼は丁寧に挨拶しつつも必ず私を彼らに紹介してくれた。
「私より才能のある優秀な友です。次は彼の番ですよ」
私は、なけなしの金をはたいて古着屋で買った流行らないウールのジャケットを着ていた。
顔から火が出そうであった。羞恥なのか屈辱なのか、測りかねた。
彼はそうして人の波をぬい、ひとつの作品の前に私を連れて行った。
「見てくれ」
目を上げた私は、声が出なかった。
負けた、負けた、頭の中はその言葉でいっぱいであった。
凡庸で猿まねのような作品しか作っていなかった田中の、その奥にあった田中自身がその作品にはあった。
凡庸ゆえに幾度となく模倣したであろうその筆は正確で緻密なタッチとなり、田中自身の輪郭をより一層際立させていた。
私は、一言も言葉が出なかった。
無言のまま田中の脇をすり抜け、会場を出ようとした。
田中は私を追いかけてきた。
そして、言った。
「君のおかげだ」
私は一瞬カッとなり振り向いて田中を睨みつけた。
「君のおかげなんだ。人の真似しかできなかった自分が、その殻を破れたのは、君のおかげだ。感謝している。次は、君の番だ」
田中は生真面目な顔でそれだけ言い、じゃあ、と私に背を向けた。
負けた。これは、いいことだ。そうか。彼は、くすぶっている私の殻を破りに来たのか。彼の成功はまた私の明日の希望でもあるのだ。
私と田中は同じ山の頂上を目指し、別の道を進んだ。だが同じ山を登っているのだ。
別のどの道から登ってもきっといつかはそこにたどり着くのだ。
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※こちらは太宰治「黄金風景」の型を使ったオマージュです。コルクラボ課題
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