見出し画像

マグカップでワイン

薄暗い玄関の電気をつけて中に入った。
やらなければならないことは山積みなのに、もうグッタリしていて何もする気にならない。
何か買ってくればよかった。
そう思ったがもう一度出かける気にもならない。

窓を開けてベッドに座った。
主のいなくなったベッドはもう座るのに遠慮することもない。
部屋を引き払う日までの日数を考えるとゆっくりしている暇はないのだが今日だけは、そう思いため息をついた。

一人暮らしの家族が亡くなるとその家の引越しを離れて暮らす家族がしなければならない。
荷物を取りに来た時には気を遣って触らないようにしていた部分も皆開けなければならない。
家族といえど人のプライバシーに踏み込むような気がして気が重かった。

母じゃなくてよかった。
年老いた母に亡くなった子の家の片付けはシンドイだろう。
だがキョウダイだってシンドクないわけじゃない。
必要のないうしろめたさと共にあちこち触らなければならない。
想像しただけでも気が重かった。

亡くなった姉の友人幾人かから「おうちを引き払うのは寂しい」。
そう言われた。
親しくしていた関係だからこその寂寥の言葉だ。それ以上の意味はない。
なのに、その言葉は自分の心をザラりとさせた。
自分は姉と友人たちとの関係を根こそぎ洗い流す死神みたいなものだろうか。
言葉を勝手に解釈し自虐しているだけだと頭で分かっていても、一度ザラりとした心はけば立ちチクチクと痛んだ。
自分には死神は向いてないな。
死んだ後で仕事割り振られたらこの仕事は向いてませんと言おう。
心がいくつあっても足りない。
死んだ後の再就職について考えて少し笑った。

もうじき日がかげり出す時間だ。片付けは明日にしよう。
今日片づけない理由を適当に見繕い、キッチンに向かった。
何か飲んでやろう。
そうだよ。弔い酒って言葉があるじゃん。
冷蔵庫の中はビールが、流しの下にはワインと焼酎があった。
ワイン開けたろ。
一人で一本はどう考えても多いが、この重苦しい気分には赤ワインが一番合う気がした。
ワインオープナーどこだろう。
大して探さずにすぐにソムリエナイフが出てきた。
いいものを大事に使う姉ならではのモノだ。
ソムリエナイフなんか使ったことない。
人が使うのを見てカッコイーと思うことはあっても、自分で使うなら使い勝手第一だ。キョウダイでも性格はまるで違う。
なんだよこれ。どうやって使うんだ。
ブチブチ愚痴りながら見ていたが流石良いものは分かりやすくできている。
素人でもなんてことなくワインは開いた。
開けてからようやく入れるものがないと気づいた。
なんで飲もうかな。とグラスを探す。
下の方からワイングラスらしきものも出てきた。
が、なんだかそんな気取ったもので飲むような気分でもない。
流しの上には姉のお気に入りのグリーンのマグカップが置いてあった。
コレにしよ。
不意にそう思った。
トトトトトーとどっしりとしたマグカップになみなみ赤ワインを注いだ。
姉のグリーンのマグカップに毒々しいまでにコックリ赤いワイン。
ワインの量も相まってカップはずっしり重かった。
姉の具合が悪くなってからいつ何があってもいいようにずっと飲んでいなかったので久しぶりのお酒だ。

ねーちゃん、お疲れ。

カップをかかげてからちょっとだけ黙とうした。
今日は酔ってもいいね。

この記事が参加している募集

応援いただけたらとてもうれしいです!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費にさせていただきます♪ がんばります!