誰のために働いていますか?
そう聞かれてあなたは何と答えるでしょうか? 自分のため、家族のため。会社のため、困っている人のため、自分を必要としている人のため、などなど人によって意識は異なっていることでしょう。どんな意識を持って働くかによって、働き方、働く意識は大きく異なってきます。このことについて考えてみます。
もちろん自分のため?
私自身、20代のときは迷わず自分のためと答えたでしょう。仕事とは自分が独力で生きていくために必要不可欠なもの、もっと言うと生活していくためにお金を稼ぐことだと思っていました。ですから大学卒業時の就活の際には、とにかく一番初任給の高い業界、会社に入ることを目的にして会社を探していたくらいです。ただ、会社に入ってみると、自分が生きていくためとは言えども、決まった仕事を淡々とこなすことに、何の意味があるのかわからなくなってきました。ただ目の前の仕事を「これは仕事だ」とある意味割り切って、やっている自分に気づきました。
結局2年くらい勤務したあと、ただ給与が高いだけでなく、自分の能力を活かして、もっとやりがいのある仕事をしたいと一念発起して転職しました。ここでも、与えられて仕事をするわけなのですが、確かに以前よりは興味の持てる仕事ではありましたが、「私、何のために働いているのかな?」という疑問はずっとついて回りました。
家族のため?
家族を養うためという人もいるでしょう。家族をもっている世のお父さんはそうでしょうし、最近は男性の主夫もいるので、家族を養うためと答える女性もいるでしょうし、シングルファーザー、シングルマザーはもっと切実なのかもしれません。
子供や配偶者、親のために働くという意識は、精神的にしんどくなる時があるのではないかと思います。私自身、配偶者が大病を患って失職したときに自分の給料だけで、家族を養っていかなければならないと思ったときから、どんなに仕事が大変でも辞められないという思いと、自分の肩にすべての責任を負っている感じがして、精神的に余裕がなくなってしまいました。特に仕事がつらいときは、「何のために働いているのか」という気持ちになりました。
会社のため?
猛烈社員の人は、会社のために働いていると言うかもしれません。会社のために朝から晩まで実を粉にして働く...という働き方は一昔前なら当たりまえの価値観かもしれません。会社への忠誠心は、会社に貢献するモチベーションの意味でも、成果を上げることにつながりますし、とても大事な意識です。ただ、一歩間違えると、会社のためなら何でも、例え不正行為でも正当化してしまう可能性もあります。
では、誰のために働く意識を持つことが必要なのでしょうか?
社会のため
私は、会社で働いている人も、個人で働いている人も、みんな究極は社会の一員として大きく言うと社会の誰かのために働いていると思います。医師であれば病気の患者さんのため、政治家は国民のため (人によっては微妙... (笑))、サービス業の方はお客様のためでしょう。どんな会社にも社会に貢献するミッション(使命)があるはずです。会社に勤務しているのであれば、そのミッションの先にある顧客のために働いていると言えます。ですから例え顧客と直接関わらない仕事を会社の中でやっていたとしても、会社のミッションと自分の仕事をする意味が同じであると仕事をする意義をより感じやすくなります。
私が過去に勤めていた会社も、お客様の利益のためにというのが経営理念でした。20代のころに、もっと経営者と同じ目線・視点を持つことができていたら仕事に対する取り組みも変わっていたかもしれませんし、仕事がつまらないとか、何のために働いているのかなんて悩むこともなかったかもしれません。
誰のために働くのか? この問いに対しては、もちろん自分のため、家族のためであることは必要ですが、もう一つ高い視点を持って仕事を考えてみると仕事に取り組む意識が間違いなく変わってくるものと思います。
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