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I-15)最初の転職先は不思議なご縁

こんにちは。Catalyst Kokoです。今日も見て下さりありがとうございます。今回は20代半ばにして初めての転職の物語です。

 家族の都合などもあり、その後も幾度か転職しているのですが、初回の転職のことは早く書きたいと思っていました。にもかかわらず、大事な研修のお仕事等もあって、前の記事から少し間があいてしまいました。さっそくいきます~

 皆さん、転職といえば人材紹介会社様を利用するのが一般的ですよね。加えて、LinkedInといったサイトを活用するなど、自分で主体的に企業との出会いの場を求めにいくなど、現在は多様な方法があると思います。しかし、私が最初に勤めた会社を退職したのは1989年の暮れのこと。その頃の転職活動になくてはならないのは、英字新聞のJapan Timesでした。電車の駅の売店で月曜日の朝買うのが常識。Classified Adsという欄に、たくさんの募集案件が出ていたのです。

 私がそれを買うようになったのは、まだ最初の会社に勤めていた頃。先々のことをうっすらと考える中で、職住接近も大事なポイントではないかと考え始めていました。横浜市に住んでいましたが、都内まで行かなくても神奈川県内で探せるのではないかとか。ちょうどその頃、Japan Timesで見つけて目に留まった募集案件の一つが、みなとみらい地区のホテルの秘書のポジションでした。建物自体、まだ完成するかしないかの頃です。それがきっかけで、詳細を出していた人材紹介会社に出会うことに。(今はもう存在していない会社ですが、そこのご出身のコンサルタントの方がたとは、その後私のキャリアにおいて、ながーいお付き合いに発展することになりました。)

 人材紹介会社は、今でこそ17,000社くらいあるようですが、当時は3,000社程度しかなかったようです。こんな統計をご覧下さい。

キャプチャ

 そんなわけで、その人材紹介会社様の一社に紹介されて面接に行ったのが当時青山にあったアメリカ系企業。先に言ってしまいますと、ここには結局10年半勤めたのです、家族で渡米するために2000年後半に退職するまで。アメリカ人副社長付の秘書が半分、残り半分は営業の補助的な仕事。紹介されたので面接に行きましたが、そこで働きたい、とグッとくるものもなく。急いでそこに決めないといけない理由も見当たらずだったのでその一回の面接で終わりました。

 その後、自分でJapan Timesで見かけた企業の面接に行きました。横浜にあったので市内での通勤だ!と、期待してバスに乗って行ったのを覚えています。

 ここでもう一つ、私のその頃なんとなく思っていた前職を退職をした理由について書いてみます。それは、「自分でやりたい」ということです。秘書時代の私は、誰かが会議に出るとか出張するとか、何かを発表する、という行為についてすべて裏方で全面的にバックアップすることこそが仕事でした。けれども、あるころから、自分でもやりたい、という気持ちが芽生えていたのです。横浜で見つけた仕事はそんなことを満たしてくれそうなものでした。

 面接に行くと面白いことが。ひととおり聞かれて面接が終わりかけた時に、「あなたの他に、もう一人会おうと思っている人がいる。人材紹介会社の人が履歴書を送ってきたので。しかし、これ、よく見るとあなたではないかな、イニシャルが同じだ」と。どうやら、私が数日前に会っていた別の人材紹介社の方が、横浜市内で勤務先を探そうとしている私のために、その企業に打診をしてくれていたようでした。

 結局こちらの会社にお世話になることに相成ったものの、何やら人手が不足気味? 初日朝からさっそく業務の習得が始まり、タイプライターで書類を作成するなど、よくいえば超即戦力な私でした。入社手続きは後で夕方に、とのこと。そこで私は二つのことに気づいた次第。一つは、小さな組織なのに数名がどうやら辞めそうだということ。もう一つは自分の内なる気持ち。その会社のお客様(企業トップの秘書の方がた)に電話をかけるうちに、なんだか違うな、と。自分はやっぱりあちら側ではないか、私が勤めるのは、ここではない、と思ったのです。

 それで、どうしたか。ここからです。繁忙さか何かが理由でその会社での入社手続きは翌日に、ということになりまして。で、私は夕方その会社を退社後すぐ近くの公衆電話から会社に電話をかけて、やはり入社は見合わせたいと伝えたのでした。続けてもう一本、電話をとある企業にかけて、面接に行きたい旨申し出て、アポイントを取り付けました。その時手にしていた最新のJapan Timesに出ていた採用案件が気になってのことでした。9am to 5pm, five days a week in Aoyama とあったのです。私の前職は5時45分までで昼休み45分、実働8時間の職場だったため、5時までとは短い実働時間だと、と魅力的に感じられたのです。これなら都内まで通うにしても悪くないか。なにより土曜日が完全に休みだ、と、そこにも惹かれたのでした。何もまだ妊娠すらしていない時ではありましたが、前の記事でも書いたとおり、その辺をやはり意識していたのは確かです。

 ちなみに、当時はまだ、完全週休二日制は多くはありませんでした。銀行もまだ土曜日はやっていましたし、土曜日に働いている友達も大勢いました。なので、私は前職同様土曜日に休めることも、その求人を見た時好印象を持ったのでした。

キャプチャ

 さて、青山の会社に翌日訪問するアポは取れました。その後私は、高校時代の後輩である慶応大学の学生に会うために横浜駅に向かいました。高校に在学中、私のことをよく慕ってくれた彼女から会いたいと誘われていたので。二人で飲食店に入り、そんなこんなで青山の外資系に行くと私が話したあと、彼女から聞いた話。それには本当に驚きました。

 彼女の大学の先輩が二人青山の会社に採用された、とのこと。なんでも入社後にアメリカやカナダの山だか森に研修に行っていたのだと。ん?待てよ、私が明日行く会社は、広大な私有林を持って、原木や製材を日本に販売しているアメリカの会社だったような。

 何よりも、その“Japan Timesに出ていた会社”は、私が一度人材紹介会社に紹介されて面接に行った会社だったのです。英字新聞を見て、なぜだかあらためて話を聞いてみたいと思ったのがその会社でした。普通なら会ってくれなかろうと思うものの、とにかく行ってみたところ、結局は当時の私には過分なオファーを頂き、雇ってもらえることになったのでした。

 今から30年前のことで、細かい部分は多少記憶が少し不鮮明になってきたものの、この当時の数日間のことは、今思い出しても興味深くて忘れようがない。こういうのって、いわゆる「縁があった」ということですねぇ。

 念のために書きますと、新しく採用してもらうことになったのは、
1)私の知り合い(高校の後輩)の大学時代の先輩が入社した企業だった
2)私が面接に行っても前向きに思わなかったけれども、偶然(また)Japan Timesでの求人を見て出向いた

そういう会社でした、ということです。転職って、「縁」かな、って思うんですよね。
 
 続きは、次の記事にて。

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ODCatalyst  本木和子
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