I-11)最初の退職にむかった状況
こんにちは。こちらの記事をたずねて下さりありがとうございます。たまには宣伝を。
私は、働く方のキャリアの相談を有料でお受けしています。女性の方も男性の方も、また年齢が高めのシニアの方、会社経営者の方からも。
キャリアコンサルタントは職業の紹介を行っているわけではありません(この点良く間違われるのでクリアにさせて頂きます~)。ご自分の生き方、働き方をお考えになっていかれる過程で、助言や支援をさせて頂いています。Facebookページもあわせてご覧下さいね。以上で宣伝を終わります!
気分転換にちょっと海でも眺めて下さいね。あ、小田原の御幸の浜です。
さて、社会人スタートを切った一年目に早くも社内異動の機会を頂き、私は翌年の2月から大勢の技術者部屋の小女将のように?嬉々として働きました。私を人事から拾って下さった上司も、時がきてシカゴ郊外の本社へ戻ることに。その後は事業部長代理付、次に事業部長付と外国人付秘書の仕事を続け、働くフロアも含めてステップアップ(笑)。働き始めた頃とは異なり、今度はポジティブな社内異動にて、役員のフロアに戻りました。もう以前のようにエレベーターの中で泣いたりする暇はありません。入社して4年目、他のセクレタリーの方といい関係で充実した日々でした。米国本社からエクゼクティブが大挙し、初めて日本で開催した大きな会議を裏方で仕切ったり。(といっても、彼らの宿泊手配をしたり、サンドイッチや飲み物をタイミングよく用意するとか、さほどのことでもないのですが。でも、会社の年次報告書に名を連ねるような方達からも褒められると、いち社員としては大きな喜びや励みになります。インパクト大なのですよ!)
しかしその頃、忙しすぎて体調不良がしばしば起きました。その会議をしきったあたり以降、不思議と3週間ごとに幾度となくめまいに襲われたのです。ある日、仕事中覗いていた ”マッキントッシュ” から目を離すと、床に敷き詰めた赤いジュータンがぐるぐると回っているではありませんか。私はびっくりして、隣の秘書のA子さんに、「ねぇ、おかしいくない?絨毯が回ってる、回ってる」と言って助けを呼びました。「そう?回ってないけど」と言われた時、なんてのんびりしている人なんだ、とイラっとしました。自分は本当に回っていると思い、必死でした。人生で初めてめまいを経験したのです。
周りの方達が慌ててしまい、ちょうど予定があいていた社長の運転手の方が自宅に送って下さいました。二度目のめまいが起きたのは自宅で起床時。三度目も就業中でしたので、会社の近くの病院に連れていってもらい点滴を受けました。その後は近くの日赤医療センターで耳に水を入れて検査をしたり。ある時は、先輩秘書に言われた通り、婦人科に検査を受けにいったり。若くてやる気がありすぎる私に皆さん心配して下さるのが嬉しいものの、さてどうしようかと思う日々でした。個人付の、それも秘書という仕事ゆえ、バックアップ体制もなく一人で抱えていたので、能力的にも時間的にも、はちきれてたのかもしれません。
出した結論は会社を辞めること。いったんその職場から離れる以外選択肢はないと考えたのでした。その会社で私の最後の上司となる方と(元看護師の)奥様との3人で六本木のアメリカンクラブに食事に誘われた夜のこと。奥様のほうから、「いったん休職して、また職場に戻ればよいのではないか。退職することはないと思うよ。」と言って頂きましたが、休職という選択肢が可能なのか、そんなこと頭になかったので驚きました。しかし、また戻れるのか、戻るのはいやだ(戻りたくない)、とも同時に思ったのです。
奥様はこの頃、時々私の体調を気遣って、カリウム不足ではないか、とかバナナを食べるのがいい、など助言を下さる他に、職場に来て私の腕をとり血圧を測ってくれるなどなんだか大事にして頂きました。彼らの家が会社の真裏で、不在中の彼らの郵便物の処理とか植木の水やりとか私もやってましたし。当時は秘書として、そんなこともなんでもしていましたね。
ちなみにバナナといえば、この上司はフロリダから来た明るい方でよく冗談を言って人を笑わせる人でした。仕事では当時の郵政省に大きな体でハードネゴに行ったりしてましたが。私が真顔で仕事をしていると、表情がきつかったからなのでしょう。Are you going bananas?とかよく言われました。このイディオムを見るたびに、彼のことを思い出します。残念なことに私の退職後ほどなくしてその上司は急逝されまして。私はいまだにバナナを見ると、いろんなことを思い出すのです。
ある時は私にピアスをくれまして。そこには、Don't worry, be happy!ってありました。私は未だにピアスをしませんが、これ未だに大事に持っています。このメッセージ、って、生きていくのにとても大事なことではないでしょうか?
”くよくよしないで、幸せになろうよ”(私の和訳です)
これって、彼が当時オフィスでも時々口ずさんでいた曲のタイトルでした。もっとも当時は、流行歌だなんて知らなかった私。彼が勝手に作って口笛を吹いているのだとばかり思ってました。実際に流行っていたなんて、少し後に知りました。こんな曲です。今YouTubeで見つけました。
なんと心に響く歌詞、明るい音楽なのでしょう。特に今この時期に聞いてみると沁みますね。