「自己主張」は意図的に出す
本日は「自己主張」について。向き合う出来事があった。思いついたアイデアに関連する業界の話を聞きたいと思い、とある卒業学生に連絡をとった。「いいですよ、じゃあ〇日〇時に」と快く予定してくれた、、、と思いきや当朝「バイトが急に入ったのでリスケでお願いします」と。ここまではよくある話だが、問題は彼の常習性
半年前に彼が運営で参加した東京のイベントに、私の知人を紹介した。同じ会場にいたにも関わらず顔合わせの挨拶に行かなかったり、事前に打合わせして予定したイベントモニターを前日にキャンセルした。一連の出来事を踏まえて、今回は自分の思いをはっきり伝えてみることにした
「バイトも大事だけど、その日のためにわたしもスケジュールを調整していたことを考えてほしい」
相手の時間を思いやれない、予定を気軽に変更して相手の時間を簡単に変えようとする。それを繰り返すことがわたしを苛立たせていた(そんなに暇じゃないんだ笑)不測のアクシデントなら仕方がないが、ドタキャンやリスケを平気で繰り返す風潮は考えものだ
日常「いいよ」「大丈夫」と本当は嫌なのに納得していないのに、そう答えてはいないだろうか。肯定的な返事ばかり繰り返していると相手はまず気づかないし、場合によっては態度がエスカレートする
「自己主張」と言えば、先日ブレーメン所属の大迫勇也選手と大学サッカー部員のオンラインイベントに視聴者として参加することができた
「海外生活で心掛けていることは?」学生からの質問に大迫選手は下記のように答えていた
移籍当初は言葉がうまく話せないこともあり、負けた試合をよく自分のせいにされた。「いやいや、それは違うよね」と今では意見をはっきり言う。自分を出すことは大事。
ダメなことはダメ。違うことは違うと、時にははっきり自己主張する。それが自分のコア(芯)を強くする
リスケの彼はあれから連絡が来ないまま音信不通になった。残念だが、分かり合えず自分から去っていく人に執着はしない。あっさりしすぎ、と人からよく言われる
父の仕事の影響で転校が多かったので、中学まで友達ができては転校で離れるを繰り返した。そうした経験から、合わない人と無理してつき合うより自分を出してそれでいいと認めてくれる人といる方が100倍楽しいと実感している
そして大迫選手のように自分の居場所は自分で作る。互いの時間に思いを馳せられる人をこれからも大切にしていこう、自戒もこめて。そう再認識できた一件だった