高校生までの記憶③(中2)
少し期間があいてしまいましたが、
今回は
波乱万丈な中学2年生
について書きたいと思います。
2年生になり、部活の顧問の先生が変わりました。
市内で強豪の学校からきた先生が主顧問(N先生とします)で
副顧問(Y先生とします。)は去年は剣道部顧問で、
でもバレー部顧問したいと言っていた人でした。
最初はN先生が主にやっていましたが、
その主顧問と副顧問の関係性は
大学の先輩(副顧問)と後輩(主顧問)なのです。
なので、N先生はY先生のことに逆らえないし
いつのまにか立場が逆転いました。
副顧問の指導法は、
不適切、体罰が当たり前
でした。
1ヶ月の部活の予定は
休みが月に1回(2回あったら嬉しい)
毎週土日は1日練習か1日練習試合のため早朝から夕方まで遠征。
でした。
今の時代じゃ考えられないですよね。。
部活の拘束時間も長ければ、練習内容もハード。
校庭100周。
は当たり前でした。
もう陸上部より走っていたんじゃないかな笑
ここからは私が特に覚えているエピソードを書きます。
エピソード①
N先生が副顧問のようになってしまってるある日、練習試合に行ったんです。
練習試合して、私たちは弱かったので案の定負けました。
そうすると、いつも通りY先生が怒りながら指導をはじめました。
叩く、体を押し付ける、引っ張る、暴言が止まりませんでした。
その姿に耐えきれなくなったN先生がY先生に
「もう先生やめてください…」
と言ったんです。
私たちはやっとこれで解放されるかも?と
少し期待しました。
しかし、
怒りはエスカレートしていきます。
Y先生はN先生に対して
「は?私が悪いって言うのか?」
とキレ始めたのです。
あーもういい。と教官室にY先生は帰って行きました。相手校の顧問もY先生のことを慕っているので体罰は見て見ぬふりです。
その後、N先生から廊下に呼び出させて話をしました。
N先生からは
「助けられなくてごめん。」
そう言われました。
あ、もうおわった。と思いました。
唯一の希望だったら、N先生はもう私には何も出来ないと思ってしまったと感じました。
N先生はその後帰ってしまいした。
八つ当たりみたいな感じでその日の体罰は特に酷かったのを覚えています。
その出来事があってから、体罰が原因で
10人中3人が退部しました。
その3人は私が仲良くしていた子で、残った人は気が強く、私は合わないタイプの子でした。。
その練習試合後からは、そのN先生は部活の顧問を下りて、Y先生が主顧問として地獄のような部活が始まりました。
捻挫ぐらいじゃ部活は休めなかったです。
肉離れでもボール拾いに行っていました。
エピソード②
私は練習試合の合間に壁打ち100回と言われ、
自分もイライラしていたのもあって
思いっきりぶら下がっているボールに壁打ちしたら手までぶつけてめちゃくちゃ痛かったんです。
でも、痛いこと言えなくて
トイレ行きますと言って水道で冷やしていました。
人数もいないし常にスタメンだったので
痛かったけど練習試合に出ました。
もう激痛で激痛で。
1セット終わる頃には紫色に変色していました。
でも、その日は言えずにそのまま練習試合し続けて帰りました。
家に帰って整骨院に行ったら、
骨が折れてるかもしれない。
と言われました。
次の日病院に行き、レントゲンを撮ると
骨にヒビが入っていました。
もうすごいですよね。人差し指の骨にヒビが入っているのにアタッカーとしてスパイクもサーブも打ち続けました。
本当に痛かったのを覚えています。
エピソード③
中2の時からしんどくて、
少し腕を切る、ということをしていました。
(いわゆる自傷行為のリストカット)
それがリストカットだと認識していなかったし、誰にもバレないようにほんとにうすーくでした。
この時から私のしんどさはあったのかなぁと思います。
エピソード④
もう部活に行きたくない、と思う日も多くありました。
そんな時、保健室のベットで泣いてると養護教諭がどうしたの?と声をかけてきて
ありのままを話したんです。
でも
味方にはなってくれなかった。
頑張れとしか言われなかった。
体罰のことを伝えても、その時の私の学校は
隠蔽というか誰もが見て見ぬふりをしていた
なので、もう周りの大人は誰も信じることが出来ませんでした。
この時に
絶対こういう大人にはなりたくない
と思いました。
胃腸炎で学校と部活を休んだら、Y先生が家まできてズル休みじゃないか?と家に突撃してくるなんてこともありました。
その時は母親もブチ切れていました。
母に何度も辞めろと言われても、
辞められる環境では無かったし
毎日朝も泣いて学校でも泣いて部活して家に帰って勉強して泣いて。
そんな毎日でした。
今はかなり表面化されてる体罰でも
私の時は
誰も何もしてくれなかった
暗黙の了解でした。
あの時、部活を辞められていたら私の人生が変わっていたかななんて思うこともありますが、
過去は嘆いたって変わりません。
今なら少し笑って話せるけど、
当時は本当に追い込まれていました。
よく頑張ったね。私。
偉かったよ、私。
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