気持ちを感じるセンサー
私が小学生三年生頃、クラスに女性の教育実習生が来た。私たちにとっては、実習生と言えど、色々教えてくれる先生だった。歳も担任の先生よりずっと若かったので、クラスの子達からはあっという間に、先生遊ぼう!先生〇〇しよう!などとお誘いがひっきり無しの、人気者に見えた。
しかし
先生が実習を終えて別れの時が来た。実習生は『先生にお手紙書いてね♪』とクラスの皆んなに言って、少し泣いていたように記憶している。私はおてんばだったけど、あまり主張するタイプでは無かったので、覚えて居ないかもなぁなんて思いつつ、手紙は絶対書こうと思っていた。実習生が教室を去った後、「〇〇先生にお手紙書いてね」と担任の先生も言っていた様に思う。
それで私も、遊んでもらったり、お話をしてくれたりしたので、教育実習の先生にお手紙を書いた。するとお返事が届いて、私の事を覚えていてくれて、色々書いて下さっていた。
教育実習の先生がこの学校を去って、2週間とか3週間とか経った頃だったと思う。担任の先生が、クラス全員に向けて『教育実習出来てくれた〇〇先生に、お手紙書いた人!』と言って、挙手を取った。
すると、手を挙げたのは私1人だけだった。その光景を見た時、私は心から出して良かったと思った。きっと私が送らなかったら、教育実習の先生は誰からも手紙を貰えず、悲しかった様に思うし、教員になる自信がガタガタと崩れてしまったんじゃ無いかな?と思うからだ。
そしてあの時私は多分、担任の先生の「出してあげて!!」と言う無言のプレッシャーを無意識に受け取っていたんだなぁと、大人になった今頃気付いた。
そしてそもそも私は、教育実習の先生にお世話になったと思っていたから、書くのは当然だと思っていた。しかし意外だったのは、私よりも先生との関わりが深かった子達もたくさん居たのに、誰一人先生に手紙を書かなかった事だった。
私はこの時、人って結構薄情だなと思った。私以上に、先生にベタっと張り付いて、遊んでとか、話聞いてとか散々お世話になった子達は、わんさか居たはずなのに。
100歩譲って、男子はまぁ照れ屋さんも居るし、女の子ほど関わりがあったわけじゃ無いから、仕方ないのかな?と思うけど。
女子だよ!女子!本当にこの時が、女って怖いなぁと、私が人生で最初に女子を恐れた瞬間だったと思う。あんなにべったりだったのに、感謝の一個も無いのか?と。
あんなに慕っていた風だったのに…
あれがあったから、私は一部の女子が苦手になってしまった所はあったと思う。そして何より、そう言った一部の女子に不信感が残ってしまった。
私の地元は本当にすっごく田舎だったから、そんなのどかな環境で育っていた女の子でさえも、お世話になったと言う感情も湧かなけりゃ、感謝が出来ないんだと私は思った。
考えたら、手紙を書いたのはクラスで私1人だけと言うことに、ちょっとドヤって思っていた私だったけど、この時自分がそう言う他の子達とは違う感覚を持っていた事に気付けていたらと、今頃思う。担任の先生の無言プレッシャーに気付けたと言う事を、もっとちゃんと深く考えて、自分の特性を理解していたら、もっと私の人生苦しくなかったかもなぁ〜と今更思う。
そう言う感覚でしんどかった事も多かったけど、今はそれがあったから自分を守ってこれた所もあると思い、その感覚に感謝しているけれどね。
今はその自分センサーをしっかり認識して、もっと違う事にもセンサーの反応を広げれる様に、色々頑張っている。ずっと自己犠牲の人生だったから、センサーが反応しても、それを感じ取れなくなってしまった自分がいて。その時期が相当長かったから、回復させるのに苦労しているけど、少し感覚が戻って来ている様に思う。
そして何より、どこまで自分の自分センサーを信じれるか?に掛かっていると思うのだけど。
あなたは自分センサー、働いてますか?