ポジティブな言葉は、人を殺せる
私は鬱病です。
ADHDでもあります。
投薬を受け始めて何年か経ちました。
治療の甲斐あり、薬がきいていればすぐに死のうとか、そういうことは多少思わなくなりました。
そんな中で、ずっと見ていて私と同じような人間を殺しかねないな、と感じる瞬間があり、世の中はやっぱり(当たり前ですが)精神の頑丈な人向けに作られているんだなと感じます。
あなたは感じたことがあるでしょうか。
目が覚めて、まだ息をしていたことへの絶望感を。
職場に出向かねばならない時の、スーツの衣擦れの痛みを。
ベルトを締める時の、心臓を鷲掴みされるような苦しさを。
誰かが私の名前を呟いたとき、その内容を推測して胃液が上がるその不快感を。
会社のビルの窓の外では、何度も、何度も自分が上から落ちていますし、横断歩道でトラックに衝突される自分を想像してはそうできない自分に腹が立ちます。
そういう経験がない人が、「心理カウンセラー」という名札をつけてそう言った人と対面していることが、私には恐ろしくてたまらないのです。
彼らに想像できるのでしょうか。
私は不可能だと思います。
実際、私が何度か死にかけたというか、自死をしようとした時は心理カウンセラーの相談のあとでした。
精神科医に行く決断ができたのは、運が良かったと思います。
「死にたくなってしまいます」
「何も楽しくないんです」
こんな悩みはうつ持ちの方ではスタンダードなものかと思いますが、最近見たカウンセラーを名乗る方の某掲示板での回答はこうでした。
「まず、前提が否定的になってしまっているからいけない、『なんて楽しいんだ』と思いながら一日過ごしてみましょう」
おかしくありませんか?
それができていたらそんなことになっていないということになぜ気がつけないのでしょうか。
投薬もなしに気分を変えて、それで上機嫌になれるのであればそれはもう鬱でも何でもありません。
営業妨害になってしまいますので名前は伏しますが、そこそこの経験がおありのような方でした。
私の経験とこの例から見て断言したいのは、「うつかな?と思ったら精神科医へ行け」です。
心理カウンセラーという人々がアドバイスして効くのは「正常な人」です。
極論、あれに資格はいらないような気すらします。
それと、よく聞きますが私が個人的に死にたくなったワードの中に「みんなそうだよ、大丈夫」があります。
これを聞いて安心できる人っているのでしょうか?
今困っている、死にたいほど追い詰められている。
それなのに、みんなそうである、だから我慢しろと言われます。
我慢できない自分がいけないんだ、なんてダメなやつなんだ自分は、となりませんか?
ここまで読んでいただいて、「なんてめんどくさいんだ」と思ったあなた、立派に社会に適合できています。
どうかその精神を保って、社会に貢献してください。
ですが、こういう人を見かけた時、ポジティブな言葉を投げかけることは絶対にやめてください。
あなたの言葉が引き金になって、命を断つ選択をする人間がいます。
それと、私が聞いていてよく憎悪を抱いた表現があります。
「心の風邪をひいているようなもの」
これ、甘く見積りすぎです。
何もわかっていません。
うつというのはこころの「がん」です。
積極的な治療をしない限り、人生どころか周りの人間すら巻き込んでどん底に突き落とす重病です。
休んで治るものでもありません。
世の中の「メンタル強者」の方々にどうかわかって欲しいのは、あなた方が思いつくような「休み」が大概私たちには無意味であるということです。
一カ月休んだからもう平気だろ、と思うなら、そんなのは休んだうちにも入らないのです。
不安を取り除くことが最大の治療なので、お金の心配をなくす、誰かに干渉される心配をなくす、投薬でそもそもの感情操作を変える、そういうことが必要です。
「そんなの不可能だ」と思いましたか?
正解です。
だから重病なのです。
一度折れた精神は2度と元に戻りません。
苦難を超えて、優しくなるだとか、強くなるなんてことはないのです。
折れたら折れただけ弱くなります。
そして他の人に攻撃的になります。
弱いからです。
世の中の人は、発達障害を「特徴」だとか、鬱病を「風邪」だとか、そういうふうになぜか変な気遣いをして親切になっていない親切をかましていますが、私に言わせれば大きなお世話です。
当事者に本当に寄り添っていただけるのであれば、発達障害という「知的障害」を、鬱病という「がん」を認識して、一生介護するつもりで考えてください。
それが不可能だからこそ、この世は精神強者の人たちのためにあるのです。
中途半端に手を差し伸べることはやめてください。
それによって、生きられたはずの弱い人間が死を選択することがあるのです。
そしてどうか、そういう人たちがいることだけは頭の隅に置いておいてください。
あなたの大事な人がそうなった時、
その人の命の手綱を握れるかどうかは、それによって変わっていきます。
ほぼ愚痴ですが、ご精読ありがとうございました。