8月31日

こんにちは。炭素です。

今日で8月が終わる
いつもどおりあっけなく夏が終わる

やるべきこともやりたいことも
何もできずに今年も8月31日が訪れた

歳を重ねるたびに時間の流れが速くなって
感情の起伏が少なくなって
興味関心がなくなっていって
死ぬことすら面倒になって

そういう"大人"になっていくのを感じる

にも関わらず、現実は何も変えられないままだ。

大学にも行けずに、周りが成長していくのをぼんやりと見ているだけの社会不適合者

全部どうでもいいと諦観した気になっている。
何も成せないことを開き直って自虐ネタとする。
全部終われと自分で終わらせる努力もしないまま世界に終わらせられない責任を押し付けている。

ただの中二病の劣等生

諦めたならさっさと死ねばいいのに
腹を括ったなら這いつくばってでも闘えばいいのに

どちらも選択できない優柔不断な意気地なし

私はただ穏やかに過ごせればそれで良い
大きな幸福なんていらない
人々の賞賛も名誉も地位も金も
なにもいらない

夕方の砂浜で海を眺めるような
深夜2時の深夜徘徊のような
早朝白む街を一人歩くような
学校終わりに食べたガーナチョコのような
放課後の吹奏楽部の演奏の音のような
誰ひとりいない教室の情緒のような
遠回りして家に帰るときの高揚のような
雨の中自転車で走った時の全能感のような
冬の休日の朝にする二度寝するような
冬の寒い日に飲むコーンポタージュのような
夏の暑い日に飲む冷えた飲み物のような
知らない誰かを人助けした時のような
帰りの新幹線のような
家に帰りいつもの枕で寝る時のような
ベランダでひとり淋しく人生回顧するような

そんな感覚…と言いたかったけど
思ったよりもこれらは幸福だ。

私が言いたいのは
何か特別な…例えば年に一度のお祭りとか好きなアーティストのライブとか
そういう特別な瞬間じゃなくて
普通の日常の中にある心が穏やかで温かくなる瞬間みたいな
そんな時の感情で日々を過ごせたらいいのにって思うんです。

とは言うものの
お祭りもライブも人生という大きな視点で見れば単なる日常に過ぎないのかもしれない。
今では過去になった二年前の"日常"も
当時はどうしようもない希死念慮を孕んで、ただ全部終わらせたかっただけだった。

結局何もいらないと言いつつ
安寧が欲しいという二律背反を抱えている

私はないものねだりの自己中です。

結局穏やかな"日常"を過ごすためには
やるべきことをやらなければいけない。

それを選択できないのであれば
苦しみを抱えて生きるしかない。

生きるのは苦しい
死ぬのは怖い
だから私はずっと寝ていたいのだろう。
寝ていればそのどちらからも逃げられるから。
現実なんてものと顔を合わせなくていいから。

現在時刻は午前四時をまわった。
もうすぐ朝がやってくる。
現実が顔を出し始める。

私は現実逃避するために
今から寝ます。
おやすみなさい。

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