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SNSも推し活も辞めなきゃよかった

こんなにお見苦しい文章を見せるのはもしかしたら後悔するかもしれないのでそう思ったら消します

推し活とSNSがあったから今まで生きてこれたんだなぁと思って、少なくとも、SNSを辞めます宣言してから今日で3ヶ月経って、メンタルは本当に限界に近付いていております

状況を紛らわすために、ドライブしても、本を読んでも、何しても、そうやって毎日少しでも建設的に過ごそうとしてもそれは気が紛れているだけで、ああ、どうせひとりなんだって思うといよいよ悲しいし、そして行動を起こさなければ明日も1週間先も、毎日孤独を直視するのだと思うと本当に発狂しそうです

SNSを辞めようと思ったのはオンラインの人間関係に依存するのはよくないと思ったからだし、そのシステムの中毒性によって時間を毎日溶かしてしまう自分にイライラして、SNSを辞めたら自分がどうなるのか知りたいと思ったのもあり、借金を返し終わる1年2年後に戻ってきますと宣言して、辞めて3ヶ月経ったら、もうあんまり気力がないというか、何をやっても、見せる相手がいない、感想を話せる人がいないと思うと、何のモチベーションにもならず、悪循環

学生時代の友達はほぼ関係が切れてるし、社会に出てからの友達はみんな1000km離れた街に住んでいるし、ヲタクになってからの友達はインターネットにいる、職場に友達がいない

こんな人がSNS断ちとかデジタルデトックスとかしちゃ駄目です。

オフラインの関わりを作ることすらオンラインを武器にする時代なのに。

SNSをやめたら、自分を追い込んだら、オフラインだけで生きる道を自ずと見つけるのだろうと思ったけど、うん、確かに実際に会える範囲の人間関係、母親との関係はだいぶ良くなって互いの理解が深まったし、高校の友達とも会ったらやっぱり楽しくて味方だと思えるし、でも、オタクとSNSで毎日あーだこーだ言えるっていうのがいかに心理的にセーフティーネットとして機能していたかというのがただ浮き彫りになっております

「SNS断ちしたら時間の効率が上がってQOL向上」どうたら、デジタルデトックスの記事や動画にはSNS断ち万歳みたいな、賛同の言葉しか並んでません。確かにSNSのデメリットを除去できたら好転することもあるかもしれない。でも、断ったとしても1週間、1ヶ月の体験談だし、ほとんどが家族や恋人や地元の友達と触れ合う時間が増えました!ハッピー!みたいな話で辟易しております。俺は辞めてから3ヶ月経って、今や、そもそも社会との関わりが乏しい人はSNSを断ったらいよいよ社会的に孤立しますよ、そしてそれを解消するには推し活ってすごく有用ですよ、という記事すら、すらすら書けそうで、でもそんなこと誰も書いてなくて、自分だけが人柱になった気分です

じゃあ戻ればいいじゃんっていう話なんですけど、友達と電話した時に(もはや友達と電話する時は重苦しい人生相談しかしなくなっている)「宣言したのに戻って来るっていうのは居心地悪くないの?」という風に言われて、いや俺びっくりして、「いや、戻りたいから戻ればいいんじゃん、そもそも大多数の中で俺一人が戻ろうがどうしようが誰も気にしないでしょ」というマインドだったのですが、後を引くように、予想以上に、ああ、戻るっていうのは周りからそういう風に見られるようなことなんだ、って思い始めて(思い込みかもしれないけど)、1年以上居なくなるって宣言してしまったことがすごい大ごとなんだなと思って、取り返しのつかないことをした感が半端ないです

そもそも何か思うところがあって推し活もSNSも辞めたわけだし、この期間で何も得られていないのに元に戻ったらまた同じことに気を病んで、再び辞めたくなってしまうじゃないかと、悩みがループする可能性を考えたらちょっと本当にどうしたらいいか分からないので、友達の言うように辛いからって安易に戻ったりしないで、やっぱりこの状況から道を拓いていった方がよくて、何か得るものがありましたって言えるようになってから戻った方がいいのかな、とか、仮に戻るのが1年2年後だとしても、成長しなかったらこの期間意味ないよなって思うし、多分友達はそれが俺のためになると思ってそう言ってくれたのでしょう

具体的に孤独を解消するためにどうすればいいのかというのを本当に考えないといけないです。この2週間で8冊本を読みました。たぶん異常です。社会学とか心理学とか、自分の状況を内省するために勉強になって充たされる感覚もあったのですが、今思うと、本当に行動しない限りは来週来月もこの景色なんだ、孤独なんだと思うと、読書に時間を使って問題の本質から目を逸らしてるだけなんだと思って、いよいよ、行動しなければ無駄なんだということに気付きはじめて、インターネットで検索

就労支援…いや仕事には就いているのだがな
引きこもり支援…いや1人でそれなりに建設的に過ごそうと外出しまくってきたのだがな
地域包括支援センター…高齢者向けの話しか書いてないな

いや、あの、友達が欲しいだけなんですが、、若者ってどこにいるんですかね?やっぱ働いてますよね、自分は職場にもあんまり居場所がないというか孤立して苦痛すぎて辞めたがっている、やっぱ辞めた方がいいんだろうなとか、自分は昔楽器をやっていたからバンドメンバー募集掲示板など眺めまして、でもそんなピンポイントに同世代の、同じ音楽趣味の人達はいない、ギターやベースを再び鬼のように特訓する気力はない、どうやったら社会と繋がれるんだろう、社会と繋がるためには趣味を強みにしなきゃいけないな、とか、趣味じゃないことを生きがいにしていかなきゃいけないんだろうな、とか。いやそれこそが真理で、ただ自分が甘えた気分でいるだけかもしれないです。ファンコミュニティというホームでは戦えたけど、アウェイでは何もできなくなっていた自分。

無気力や憂鬱感だけを考えれば精神科に再び通う選択肢もあるのですが、どう考えたって、これまで3年通っててやっと行くの辞めたばかりなのに、対症療法だけしたって根本の原因を取り除かなければ何も変わらないっていうのは分かってるんですよね。その……薬を飲んで脳内のセロトニンの量をどうこうすればいいというのは問題を何も解決しない(解決しやすくはなるだろうが)。いや正直、自分が社会との繋がりを持てていればこんな気分にならないということは分かりきっているのに…

自治体としては「子ども若者相談センター」というのが自分の年齢層向けに開かれている場所みたいなので行くならここだろうかと、で、まずは行ってみたいと思います。もしかしたら何か団体を紹介してもらえるかもしれない。

推し活は本当に楽しい、いろんな人がSNSにアカウントを持っていてライブの度に会えるし飲み会やら頻繁にやっているし、自分はたぶんそこでお調子者として振る舞って友達作るのが本当に得意だったから、でもそれがなくなったらこんなにも無力なのかと、だから「推し活のデメリット」ばかり並び立ててもあんまり意味がなくて、社会の安全弁として機能しているものだから社会に必要だし、だから席巻しているのだろうな、と思いました。だって好きな気持ちだけでいいんですよ、何も技術や資本を必要としないし、階級の差をなかったことにするから、自分はそれを通して社会と関われたのだと思うし、コミュニティに救われている人がたくさんいる。

でもまぁ、唯一言えるのは、まだ若いうちに限界にぶち当たってよかったです。これが10年先20年先に初めて直面する問題だったらたぶん乗り切れなかったと思います。

だらだらと書いてしまいましたが、たぶん、病んでるんですよね。毎日「限界だ…」と思い続けて、日々同じストレスがかかり過ぎてきっと正常な思考ができなくなっている。病んでいるから楽しく振る舞えないし、人との関わりが難しくなっている。持ってたはずの根拠のない自信も失って「こんな自分なんて…」と思い始めてしまっている。もう、何を糸口に状況を切り開いていけばいいか本当に良く分からないけど、でもきっと、もがき続けたらいつか自分が好ましいと思う生活ができる日が来るんだろうと、希望だけは忘れないで生きていきたいと思います。