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どうして他人の視線が気になり過ぎるのかな

私はどうにも人の視線が気になりがちだ。

だから外を出歩くのは
近所を歩くだけでも結構消耗する。

ただ歩いているだけ、ただ立っているだけ。
それだけなのに、誰も彼もが私を見て
笑おうとしているように感じてしまう。

もちろん
他人がそこまで私に注意を払っていないことは
理解しているのだけど。
だけどどうしても視線が気になってしまう。

みんな私を見てる。
ほらあの人、私を見て笑った。

半ば強迫観念のようになっているかも。
だから動きが硬くなったりしていると思う。

どうしてこんなにも人の視線が気になるのか。
一つの原因に思い至った。

それは
私が一人っ子である、ということ。

一人っ子ということは、父と母の関心が全部『私』に向くということ。
分散されない。

両親が思い描く理想の子どもと少しでも違えば
秒で気付いて矯正しようとする。
だって、他に関心を寄せる対象が無いから。

少しでも変なことをしようものなら
即座に鉄拳制裁がやって来る。
言葉でもこてんぱんにやられる。
「こんなはずじゃ」と泣かれる。

あと祖父母にとっても、たった1人の孫だった。
だから祖父母の視線も感じていたのだろう。

祖父母には盆暮れにしか会わなかったけど
行くたびに色々言われるから
私は帰省が好きではなかった。

直接言われるだけでなく両親に
「あの子は頑固だ」「人見知りし過ぎ」とか
色々言っていたのも知っている。

そりゃぁ「誰かに見られてる」が
染み付くわけだよねぇ。

だって、逃げ場がない。
近しい大人の誰も彼もが
私を理想の子どもにしようとして
コントロールしようとしていた。
少なくとも、私は幼心にそう感じていた。

けれどそうして人の視線を気にしすぎていて
同世代からは「自意識過剰」って
非難されたり笑われたりした。
余計に人の視線が怖くなった。

今、少しずつ境界線が出来てきて
以前よりはマシになってきたとはいえ
まだまだ人の視線が気になる。

というか
「気にしていてはいけない」と思ってるから
苦しいのかな?

苦しいということは
どこに歪みがあるんだろう。

そうか。
「人の視線を気にしてはいけない」
「だけど人の視線が気になっちゃう」
「人の視線が気にならない自分でいたい」
全部バラバラの私だからかな。

視線が気になるのは仕方ない。 
だってそれが私。

気にしちゃいけないと思う。
それも私。

気にしない自分でいたいと願う。
これも私。

どれか一つの私にしなくていい。
ならなくていい。

全部ひっくるめて、私。
きっとそれでいいんだよね。

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