『私は愛されていた』初めて、そう、思えた。
私の中には、無価値感や罪悪感がたんまりある。
ずっと、生きづらさを感じていて
それは「親のせいだ」と思い続けていた。
ずっとずっと。
母の呪縛からは逃げられないと思っていた。
というかその呪縛は、世間一般にも
ごくごく普通のものだと思っていた。
誰もが形は違えど抱えているものだと。
けれど心理学を学ぶようになって
「世界は
自分が見たいように見ているだけだ」
と知って、混乱した。
私が苦しいのはあの人のせいでしょ!?
なのに私がその世界を作ってるって
どういうこと!?
それでもなんとか
「自分が世界を作っている」ことを
受け入れられるようになって。
それでもどうしても
親の呪縛からは抜けられなかった。
向き合わなければいけないと思いつつも
向き合うことから逃げていた。
それは
「向き合って真っ向からあの人と対峙したら
絶対に責められる。
そしたら私は傷を負う。それは痛いから嫌だ」
そんな気持ちがあるからだ。
たくさんたくさん傷つけられて。
痛いのが怖くなって。
だから逃げることを選んだ。
だけどいい加減に、逃げてもいられなくなって。
怖い。嫌だ。
でも逃げられない。
怖くてたまらない。
私の中の私が、暴れていた。
その時、愛野ひとさんの講座で
教えてもらったことが浮かんだ。
「全部が叶う世界だとしたらどうなりたい?」
全部が叶うのなら。
私は傷つかない。攻撃されない。
怖くて痛い思いはしない。
そして幸せを感じている。
そんな世界。
私は根深く『幸せ』になることへの抵抗がある。
それは何故だろうかとも考えた。
「母より幸せになってはならない。
だって母より幸せになってしまったら
私は母と同じではなくなってしまう」
どうやら、こう思っていたようだ。
けれど
「これで母は幸せになるのか?」と
浮かんできた。
そして思った。
もし私が親ならば
子どもが全身で幸せを表していたら
どう思うのだろう?と。
私ならばきっと。
まずは嫉妬することだろう。
そんな風に幸せそうに生きやがって。
うらやましいぞ。チクショー。と。
そう思ったあとにこうも思うだろう。
幸せになってくれてありがとう。
それだけで親になって良かったと思えるよ、と。
きっと。
母の言動は100%害意や悪意ではなくて。
愛や妬ましさや憎悪や
色々な感情が混ざり合ったもので。
純度100%の愛でないならば
受け取れないと思っていたけれど
そうでなくたっていいんだ。
そう考えたら
自然と母と手を握っている
私のイメージが浮かんできた。
そしてこう言った。
「今までありがとう。私は幸せになります」
そして私は母の手をそっと離して
飛び立った。
自然とこんな言葉が浮かんできた。
『私は母を愛していた。』
『私は母から愛されていた。』
この言葉に胸がいっぱいで
今、泣き出しそうになっている。
私はちゃんと愛されていた。
私はちゃんと愛していた。
だからこそ、もう。
私は私の人生を生きる。
そして、幸せいっぱいだよと伝える。
それだけできっと、いいのだろう。
初めて、そう、思えた。
いつも読んでくださって嬉しいです。
ありがとうございます。
※
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