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私の場面緘黙症。(克服してから)
前回のつづき。
https://note.com/caramel0263/n/n20817ee39462
私は、18歳の時に初めて「場面緘黙症」を克服できたように思う。
人によって克服の捉え方は違うと思うが、
私にとっては、
「家族と接するように他人とも接することができる」ということが、克服だと思っている。
だが、素の自分で人と話すことができるようになっても、
ずっと他人とコミュニケーションをとるという経験がなかったため、
幼稚なコミュニケーションしかできず、
周囲の人に不快な思いをさせることも多かったと思う。
普通の人が物心ついた頃からやっている事が、
私は18歳からやっと実践できるようになったのだ。
人よりも10年おくれの人間だと思っている。
克服してから7年ぐらい経った20代中盤の頃、
私は初めて「場面緘黙症」という名前を知った。
確かネットで検索している時にたまたま見つけたんだと思う。
人生で一番、目からウロコが落ちた瞬間だ。
私と同じように、なぜか学校で声が出せなくなるという人が、他にもたくさんいるという事実が信じられなかった。
私だけがおかしい人間じゃなかったんだとホッとした。
だけど、数百人に1人の確率に当たってしまったのかと、色んなものを呪ったりもした。
そして初めて母に少しだけ、
学校で話せなかったことを打ち明けた時に、
「私もそうだったかも」的なことを聞いた。
やはり遺伝的な要素も少しあるのかもしれないと思った。
でもなんで妹たちは話せるのに私だけ…?(泣)
「場面緘黙症」で検索して片っ端からサイトを閲覧したり、関連書籍を購入したけど、
どうしたって過去は変えられないし、
知ったところでこれからどうすればいいのか分からなくなって無力感を感じることもあった。
もし仮に子供を持っても、どうせ場面緘黙症で苦しむだけなのではないだろうかと絶望したり。
いまだに、普通の学生時代を過ごしてきた人には
ものすごく劣等感を感じてしまうし、
子供の頃の話題になると、
嫌な気持ちになって固まってしまったりする。
人一倍、「普通の人」に憧れている気がする。
でも、こうやってnoteに書いてみたおかげで、
当時の嫌な記憶を少し昇華できたようで、
思い出して辛くなることが少なくなった。
頭の中だけに存在した記憶を外に出して、
自分でも客観的に見られるようになったし、
誰かに聞いて欲しいという承認欲求も満たされた気がする。
周りの近しい人に、
こんな話を直接するのは怖くてできないから。
書いてみて良かったなと思います。
私の場面緘黙症について、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
おわり。