世界で一番美しい少年
この記事で、思春期以降
「美しくなりさえすれば報われる」といった、美しくなることへの依存や執着を持って生きてきた話をした。
でも、ごく最近になって、
美しくさえいれば幸せになれるというわけではないということを、よくよく思い知らされる映画を観た。
かなり著名な役者である、ビョルン・アンドレセンの人生(特に、その美しさゆえに味わうことになったダークサイド)を描いたドキュメンタリー映画。
「ベニスに死す」は、10代くらいの頃に図書館で貸し出しているDVDを借りてきて観た記憶。
リビングで観ていた景色が記憶にあるから、まだ自室にパソコンも持っていなかった時期だろうな。17才くらい?
(自室のパソコンは、大学に入ってからレポートのために必要!!と親に懇願して用意してもらった)
「ベニスに死す」は、正直言って当時よく分からなかった。やたら長いし…(2時間10分)
まだ同性愛やペドフィリアについて、全然知らなかったから、「えっ?このおじさんがこの美少年に恋をしてるの?そんなことある?!」みたいなことしか思わなくて。
それまでステロタイプな男女愛の作品ばかり見てきたから、「どういうことなの?」としか思えなくて。
今ほど、セクシャルマイノリティについて浸透もしていなかったし。
そんな感じでイマイチぼんやりとした印象しかなかった。
だけど、名作だとは知っていたから、
一応名作と呼ばれるもので図書館で借りられて無料で観られるものは一通り観ておきたいと思っていた時期。
面白くなくても最後まで観なければという謎の強迫心があったから、最後までは観たと思う。
…それ、なんか、いかにも完璧主義っぽい😅
本も読み始めたら最後まで読まないといけないと思ってたし。
今は、どんな作品も「今の自分にはフィットしないな」と感じたら割とすぐに止める。
どうせ観る(読む)なら、欲しているときにした方がちゃんと記憶にも残るし、しっかり味わえる。
どんな大好物の食べ物も、体調が悪かったり食欲がない時には食べたくないのと同じ…
名作と呼ばれるものは、引用されたりオマージュされたりする機会も多いから、押さえておいたほうが映画史はもちろんどんな作品を観るにも様々な点で見通しがよくなる、と思ってた。
でも、正直17才程度だと、あまり理解できないものも多くて、その中のひとつ、というか最たるものが「ベニスに死す」だった。
正直言うと、「ベニスに死す」よりもこのドキュメンタリー映画の方がかなり興味を持って観ることができた!!
そして、このドキュメンタリーを観たことで、監督のルキノ・ヴィスコンティには強い嫌悪感を持った。
美しくさえあれば幸せでいられるわけではない
これは、この映画を見る前からじわじわと、常に頭の片隅に置いて考えてきたテーマだけど。
もうかれこれ20年近くこのテーマについては考えている…
例えば、すごくブスだけど幸福な女の子か、
すごく美人だけど不幸な女の子だとどっちになりたいか??
とかそういうことをよく考えていた…。
このふたつで迷ってしまうということは、
(前者を選ぶと即答できないということは)
美人であることが幸福になるためのツールだと思ってないってことなのかな?
(だって、幸福になることが目的で美が欲しいなら幸福そのものが手に入るなら美には用無し=前者一択ってことにならない?)
美しくあることや優れたビジュアルは
それなりの審美眼を持って生きている人からすれば必要不可欠な条件ではある気がする。
(少なくとも、私からすれば自分で納得できないビジュアルで生きることはとても苦しい)
(逆に、万人から評価されなくても自分で認められる、納得できるビジュアルでさえあれば良い。気に入ってればね。)
生まれつき盲目であったりとかとことんなまでに美醜に興味がない人なら別だけど。
今は、美醜を必要以上に意識させられるような世の中だし。
醜いと、迫害を受けることが多いし。
醜いことが原因で、結果的に自死するケースもあるくらいだし。
美しさとお金って似てるかも。
実際、美しさは富の象徴でもあると思う。
歴史から見ても王族とか貴族とか裕福な人は、美しい財宝や美しい女や美しい少年を求めてきたし。
色んな国に行く人が、その国の経済の成熟具合は女性が美しいか否かを見れば手に取るように分かると言っていたし。
これは、貧乏コンプレックスが強い人(私含む)からすれば、
お金がなければ美しくなれないなんて、
金ない美しくないのナイナイ尽くしで酷く惨めになるから、貧乏でも美しい人という存在に縋りたくはなるけど(そういう存在も、様々な物語にはヒロインとして出てくるよね)。
つまり「美しさは富の象徴」だなんて嘘だと否定したい気持ちが出てくるけど。
それはともかく、
それがないと幸せになりにくいが、それがありさえすれば幸せになれるわけではない
という特徴が、お金と幸せに共通する点だなぁ、と思う。