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うつ病と私(父親②)

父親の長期欠勤が休職に変わったのは、
アップダウンの波のある生活を2度繰り返した時だった。

母親のカウンセリングに送迎がてら毎度付き添う父親が、
初めて自身のカウンセリングを決意したのだ。

診断結果:双極性障害(躁うつ)

医師の話では、
父親は遺伝的なものが大きいらしい。
私は詳しくは知らなかったが、
祖父が同じ診断を受けていたとのことだ。

今までの父親の行動に名称がついたことで、
私達姉妹は不思議と安心したところもある。

ただ母親だけはこの世の終わりとばかりに打ちのめされていた。
祖父の状態を知っていたからというのもあるかもしれない。
母親はそこからいつにもなく悲観的な言動が増え、
父親は正直自分の抱えるものと向き合う時間は
ゆっくり持つことができなかったと思う。

より寡黙になっていった。

そこから数年経ち、
3姉妹で私が一番最初に結婚をし母親となった。
出産を機に実家の近所に引っ越し、
よく子供を連れて遊びにいくようになった。
そうすることが両親には良いと思ったからだ。
寡黙な父親も、
孫が来ると体を使って遊んでくれた。
仕事に行けなくても、
家の中では明るく元気にしてくれていた。
それを見る母親の目も、
なんとなく優しかった。
それを見て私は安心していた。

父親が62歳の誕生日の日に、
姉が婚約者を実家に連れてきた。
私の時は結婚の報告より、
妊娠の報告が先だったから…
この人生の一大イベントを我が家ではどう対応するのか気になった私は、
子供達を連れて見に行った。
姉からしたら、
はしゃぐ子供達がいてまともな話ができるのか…
正直ヒヤヒヤしたことだろう。
でも配慮より好奇心が勝ってしまった。

我が家のイベントでは恒例の
お寿司が注文されていた。
父親はお酒の準備を。
母親はお酒のつまみを。
夫婦が協力して向かい入れの準備をしている姿を、
子供をあやしながら見ていた私。

あぁ、
結構普通じゃん。
やれば仲良くできんじゃん。
ライフスタイルの変化は家族の変化だと、
改めて大切さを感じた瞬間だった。

当人達が到着すると、
いつもは自分から言葉を発さない父親がかなりの饒舌に変わった。
話さずにはいられない…と言った感じ。
母親が静止するも、
お酒を次から次に飲んでいき、
来客を酔い潰してしまった。

嬉しかったんだと思う。
寂しかったんだと思う。

そこで1ヶ月後に入籍をすること、
翌年の初夏に挙式を挙げることが報告された。

姉カップルが帰宅後、
父親も酔い潰れた。
もともとお酒は強くない父親。
飲まずにはいられなかったのかもしれない。

報告を受けてから程なくして復職した父親。
まぁ…はりきっていた。
かなりの躁状態。
止めるもの全て振り切って、
かなり忙しなかった。

そして挙式の2ヶ月前になり、
父親はまた会社に行けなくなってしまった。

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