地獄からの救済、矢田寺にて。
不穏なタイトルでスタートしたこの記事。
誰しもが聞いたことのある言葉
地獄
「いや、地獄なんかある訳ないじゃん!笑」
皆さんはどう思いますか?
地獄なんぞ概念的なものなので、『ある』と思えば必ず存在するし、『ない』と思えば絶対に存在しません。
ただ、『ある』と思った人で心が救われる人は多くいました。
「地獄へは行きたくない」という強い思いから、日々の生活を改め、心の拠り所となる仏様を信仰をし、日々、仏様に守られているという安心感を持ちながら生活をする。そして、安らかに成仏をする。残された子孫たちも良い行いをしていたから、来世でもきっといい生まれ変わりができるだろうと安心する。
こんなふうに、救われる人は大勢いました。
と、地獄語りはここらへんで!
そんな、地獄に関するお寺です。
京都は三条通り、賑やかな商店街の中にある矢田寺は、『矢田地蔵尊』が祀られているのです。
『地蔵か、、、』
『地蔵ってよく聞くけど、何するの?』
と、思ったあなた!
少しだけお地蔵様についてお話しします。
この絵馬、何が描かれているかお分かりですか?
これは、『地獄で釜茹でにされている亡者を地蔵が救済している』場面です。
『矢田地蔵縁起絵巻』の一部を絵馬のデザインにしているみたいです。
これがその『矢田地蔵縁起絵馬』です。
地蔵は地獄からの救済をしてくれる、ありがたい方とされていることがわかります。
地獄の主な経典(往生要集など)によりますと、基本的に人々は地獄へ行きます。回避できないようなことで、地獄へ落とされます。
例えば、『酒を飲む』も大罪とされていたので、もちろん地獄行きです。女性なんかは、血を流すだけでも地獄へ行ってしまいます。同性愛者も地獄へ落ちるとされていました。多様性なんという言葉は存在しない時代でしたもの。
なので、ほとんどの人が地獄へ落ちるとされていたため、全国各地で地蔵信仰が行われており、死後の救済を願っておりました。
そんな矢田寺の御朱印です!
そして、ここにはもう一つ地獄に関係するものがあります。
それが、こちらです。
堂内にある『送り鐘』です。
側面には地獄のレリーフが見えます。
この『送り鐘』は死者の霊を迷わず冥土へ送るためにならす鐘として信仰されております。
では『送り』があるということは『迎え』もあるのでは?と思うかもしれません。
あります!同じ京都にある『六道珍皇寺』というお寺です。それはまた次回の記事に書こうと思います。
それではまた次回の紀行で。
※撮影許可はいただいております。