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苦手なものは食べないとだめ?

最近、Twitterで「苦手なものは無理には食べさせない」という投稿を目にしました。苦手なものを無理に食べさせて、さらに嫌いになってしまっては本末転倒ですしね。

そこで、発達支援の視点から「食」について少しだけ書いていきます。

私が主に考える発達支援からの視点は2つあります。1つ目は「感覚過敏」、2つ目は「生涯を通しての”食べる”ことの楽しみ」です。

苦手なものでも食べさせる、食べさせない、のどちらか、と言う話ではないので、それを踏まえてよろしくお願いします。


感覚過敏

「”食”なのに感覚過敏?」と思う方もいるかもしれません。「チョコレートが苦手な子」「コロッケが苦手な子」「いちごが苦手な子」「キノコが苦手な子」がいます。「え、なんで苦手なの、美味しいじゃん?」と思うかもしれませんが、実際にコロッケが食べられない子がいます。ただの味の好き嫌いではありません。「なぜ苦手なのか」という「原因、要因」を考えることが発達支援だと私は思っています。

まず、感覚過敏には様々な感覚の過敏があります。視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚などです。私が勤務している施設にも感覚過敏をもった子がいます。

「コロッケが苦手な子」は「衣がチクチクしていて食べるとすごく痛い。」と感じ、「チョコレートが苦手な子」は「すごく苦い」といいます。「いちごが苦手な子」は「表面のつぶつぶが気持ち悪くて怖い」といいますし、「トマトが苦手な子」は「噛む瞬間の音が嫌いで噛めない」と訴えてきます。

感覚過敏があるがために、安心して食べれるものが固定化され「偏食」と言われてしまいます。そりゃ、安心して食べれるとわかっているものしか食べたくないに決まっています。うちにいる生徒はお昼ご飯に焼きそばしか食べません。一緒にコンビニに買い物に行くのですが、焼きそばがなかったら他のコンビニにも探しにいきます。

「いちごの表面が苦手」に関しては「目を瞑ればいいじゃん」となりますが、視覚の過敏がある子にはいちごの表面が拡大ズームされ、グロテスクなぶつぶつが強調されているようです。グロテスクだと感じるものを口に入れたいと思えないのは当たり前のことだったりします。

しかし、感覚過敏があるとはいえ、苦手なものを「不味い、嫌い」と言葉に出す、調理してくれた方への感謝をしない、とは全く別のことです。

生涯を通しての”食べる”ことの楽しみ

こちらは「苦手なものも食べてみよう」という意見です。

私は一年ほど前に高校2年生の全盲で重度の知的障害、肢体不自由の生徒の支援をしていました。そこでは食事やおやつを一緒に食べる時間があったのですが、意思疎通ができないので、反応をみながら食事の支援をしていきます。また、飲み込むことも難しいので必ず食べた後にお茶を飲ませないといけません。

その時、元養護学校教諭のスタッフさんが「この子は食事が生涯の楽しみの1つになるなんだ。だから、少しでも食べれるものを増やして食事の幅を広げて、人生を豊かにしてあげなくてはいけない。」とおっしゃていました。

当たり前のように毎日繰り返している「食事」が人生の豊かさを形成していくんだ、と改めて実感した瞬間でした。

多少苦手なものでも、誰かに食べさせてもらえれば口に入れる機会は増えます。無理矢理はもちろんダメですが、苦手だと思っていても「いつの間にか」はある、かも、しれません。かも。


発達特性を理解した上での支援を

「発達障害は基本的に脳科学の分野です。その子の特性を把握すれば、行動の意味もわかり、対策が打てます。」

これはある発達支援教育を専門にやられている方から聞いた言葉です。

例えば、「触覚の感覚過敏によって衣が痛くてコロッケが食べれない」のであれば、スプーンで潰すして衣を柔らかくしてあげたり、「視覚の感覚過敏によっていちごの表面が苦手で食べれない」のであれば、これも潰したり、ジュースにしたり(時間はかかりますが)と、原因がわかれば対策が打てます

好き嫌いの味の好みではなく、感覚過敏による拒絶、苦手意識のせいでその食べ物自体を嫌いになってほしくはありません。


少しでも”食”を楽しいと思って欲しいですね。


おわり。



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