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【ゆっくり学ぶシルバーバーチの霊訓】40

※本文中の引用文は記載のあるもの以外は、
『シルバーバーチの霊訓(一)』潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳
よりの引用です。

霊力は無限です。尽きることがないのです。通過する道具によって制限されるだけです。道具なしには霊力は地上に発現されません。ですから、道具となるべき霊能者は受容能力を少しでも広く深くする努力をしなくてはいけませんし、そうすることによって霊性も発達させなければなりません。

霊性こそが霊力の分量を決することになるからです。霊性が高まればそれだけ多くの霊力が流入するようになります。尽きることがありません。

霊的潜在力には際限が無いのです。そうした人間的努力の背後では高級霊がそれぞれの霊媒についていろいろと試し、エネルギーの効果的な組み合わせを考えて、より素晴らしい、そしてより速やかな治癒が得られるようにと、研究を怠りません。

こちらの世界には〝これでおしまい〟ということがないのです。ただこの道の仕事の宿命として、人間という道具を使用しなければならず、与えられた道具で最大の効果をあげるしかないのです。

良い道具になるためにはいくつかの方法があります。
ひとつは人格を磨く事。
心を常に清く保ち、正しく想念を扱えるように自らをコントロールできるように努める事です。

また、不安や心配にとらわれないというのも必須です。これもセルフコントロールする事によって身につけなくてはいけない事です。

一言で言えば簡単に聞こえますが、これは地道な鍛練と普段からの心がけが必要ですのでなかなか大変かと思いますが、できることをコツコツと積み上げていくと身についてくるものです。

また霊的に成長していくと波動が上がっていくため、不安や心配の念を受けにくくする事ができるようになります。

不安や心配などの念は私たちが住む地球を取り巻いて、層状に存在しています。これらの想念と感応する事によってネガティブな思いに囚われてしまうのです。

肉体的にも律する事が大切です。なんと言っても私たちは肉体の中に存在していますので、物質的なものから受けとる影響は大きいのです。

その事については以前記しましたので、こちらを参考になさってください。

心霊治療の真の理解には長い長い時間を要します。霊の威力を地上で見せつける方法は大勢の人間を一度に改心させることではありません。一度に一人の人間、一人の子供を治すことによって、いわば霊的橋頭堡を築き、それをしっかりと固め、不朽のものとするのです。

千種万様の形をとる霊力は、心霊治療にせよ、霊訓にせよ、公開での交霊会にせよ、魂にそれを受け入れる備えが出来た者によってその真価が発揮されます。受入態勢が出来ているということが絶対条件なのです。

 人間が神の摂理を犯し、物質と精神と霊の協調関係を乱します。そこで心霊治療によって内部の霊的エネルギーにカツを入れて本来の協調関係を取り戻させます。

こうして霊の威力による治療が次々と成就され、宣伝され、その霊的事実関係に関する理解が深まるにつれて、そこに一石二鳥の成果が得られていることが分かります。すなわち病気が減ると同時に、その分だけ霊力による目的成就が容易になるということです。

理解というものは、一時的であってはなりません。目の前で奇跡的な治療を見て感激するのは良い事ですが、その事の意味を深く捉えずにまた元の生活に戻ってしまうようではいけません。

不思議なことを不思議なままにしておくのではなく、なぜそのような事が可能なのかを探求する心がなくてはいけません。

何度かご紹介している浅野和三郎氏は、ご自身のお子さんが病にかかり、それを霊能者に見てもらい、その言葉通りに病が治った事を不思議に思って心霊研究の道へ進まれました。

元々海軍機関学校の教員であり日本でも屈指の文学者でもあった氏は、その持ち前の探究心を持って当代随一の審神者になられました。

戦前の巨大宗教団体であった大本教を実質的に取り仕切っていたのは、浅野和三郎氏と、兄の正恭氏のふたりだと言われたほどです。

不思議なことをを不思議だと思う素直な心を大切にして下さい。それはあなたを真理へ導く最良の薬なのです。

人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得することは神の計画の中にはありません。すべての病気にはそれなりの治療方法が用意されております。その神の用意された自然な方法を無視し動物実験による研究を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。

動物はそんな目的のために地上に生を享けているのではありません。真の健康は調和です。精神と霊と肉体の正しい連係関係です。

三つの機能が一体となって働くということです。これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりすることによって得られるのではありません。

宇宙の摂理に調和した生き方を成就すれば自然に得られるのです。そういう生活を送れば人間は病気によって死ぬことはなくなり、老化現象によって死を迎えることになります。肉体がそれなりの目的を果たし、次の世界の生活のための霊的準備が整った結果としてそうなるのです。

 身体が病むということは精神か霊かのいずれかに不自然なところがあるということです。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常であるはずです。身体に出る症状はすべて霊と精神の反映です。これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。

魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体は当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。

今日はここまでとします。
皆さんにとって良い学びとなりますように。

Capella✝️

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