※本文中の引用文は記載のあるもの以外は、
『シルバーバーチの霊訓(一)』潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳
よりの引用です。
私たちの意識は、本来の自己のほんの一面を表しているに過ぎません。
いま、ここで生きている〝わたし〟はより大きな〝わたし〟の一表現なのです。そして、地上に投影された私たちはそれぞれが経験を積んで本来の大きな〝わたし〟へと還ります。
そして私たちの経験の内でキリストに相応しくないものは取り除かれ、純化された神聖な部分が永遠の原子に保存されます。肉と血とは天の国へは入れないのです。
そして、再び地上に投影された時には必要な経験を積むのに最適な形で、また別の面の〝わたし〟として表現されるのです。
ですから、一言に〝前世〟と言っても全く同じ人物が時代を変えて表れているという訳ではないのです。
ナザレ人イエスがあらわした奇跡は、すべて法則に沿って行われました。
人々を癒す事。
水の上を歩く事。
悪霊を追い出す事。
死んだ人を蘇生させた事。
何千人もの人々に食を与えた事。
そして、自身の肉体を失ってもこの地上に姿を見せて、魂は不滅である事を示した事。
キリストが展開するにつれて、より高次の法則をあらわす事ができるようになります。そしてそれは、私たちにとっても同じ事です。
すべては法則です。
私たちの目には奇跡のように見えますが、法則の範囲を超えて起こる事はありません。
今日はここまでとします。
Capella✝️