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【ゆっくり学ぶシルバーバーチの霊訓】54

※本文中の引用文は記載のあるもの以外は、
『シルバーバーチの霊訓(一)』潮文社刊
アン・ドゥーリー編
近藤千雄訳
よりの引用です。

問 「生まれ変わりは本当にあるのでしょうか。」

 答 「これは非常にややこしい問題です。というのは、この問題に関してはこちらの世界でも事実を知る者と知らない者とで意見がさまざまに分かれているからです。知らない者はあくまでも〝ない〟と主張し、知っている者は自分の体験から自信をもって〝ある〟と断言します。私は後者の一人です。

私にも体験があるからです。ですから再生が事実であるという点は問題ないとしても、その真相の説明となると、これは大変やっかいです。なぜかと言えば、何度も述べてきたように、再生するのは同じ霊であっても、物質界に顕現するのは同じ面ではないからです」

私たちの意識は、本来の自己のほんの一面を表しているに過ぎません。

いま、ここで生きている〝わたし〟はより大きな〝わたし〟の一表現なのです。そして、地上に投影された私たちはそれぞれが経験を積んで本来の大きな〝わたし〟へと還ります。

そして私たちの経験の内でキリストに相応しくないものは取り除かれ、純化された神聖な部分が永遠の原子に保存されます。肉と血とは天の国へは入れないのです。

そして、再び地上に投影された時には必要な経験を積むのに最適な形で、また別の面の〝わたし〟として表現されるのです。

ですから、一言に〝前世〟と言っても全く同じ人物が時代を変えて表れているという訳ではないのです。

問 「霊的法則は霊界でも地上でも同じ作用をするのでしょうか。」

 答 「違います。こちらでは同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対照というものがありません。各自がその霊格に合った階層で生活しており、程度の低い者と高い者とが一緒に暮らすということがありません。

地上では精神的ならびに霊的発達程度の異なる者が毎日のように顔を合わせますが、こちらではそういうことはありません。ただし、使命を受けて(地上的言い方をすれば)低い階層へ降りて行けば別です。そうでない限り同じレベルの霊同志の生活が営まれます。

やがてそのレベル以上に向上してくれば次のレベルへ進んで行きます。ですから一つの階層で対照的な生活が営まれることがないわけです。

 とにかく私たちの世界には光と闇といった対照がなく、従って影もありません。光だけです。光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解が出来ております。そうでなかったらその階層におれません。

その階層に至るまではやはり光と闇の錯覚の世界である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。そうすれば実在の真相をより正しく理解するようになり、実相をあるがままに知ることができます。

 たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその〝全体像〟を見ることができれば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。霊眼には全ての物の内側と外側とが見えるのです。

内側には地上のような外側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。色調も無数にあります。そして物的感覚では理解できない霊的な実体感を有しております。

私たちは地球の引力の作用を受けません。また永遠の光が存在します。魂が開発されるにつれて、その程度にふさわしい美しさも開発されます。こちらは創造進化の世界です。そこに生活する者自らが創造していく世界です。」

ナザレ人イエスがあらわした奇跡は、すべて法則に沿って行われました。

人々を癒す事。
水の上を歩く事。
悪霊を追い出す事。
死んだ人を蘇生させた事。
何千人もの人々に食を与えた事。

そして、自身の肉体を失ってもこの地上に姿を見せて、魂は不滅である事を示した事。

キリストが展開するにつれて、より高次の法則をあらわす事ができるようになります。そしてそれは、私たちにとっても同じ事です。

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである」

新約聖書 
ヨハネによる福音書14:12

すべては法則です。
私たちの目には奇跡のように見えますが、法則の範囲を超えて起こる事はありません。

今日はここまでとします。

Capella✝️


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