さぁ、昔話をしてみよう*春採湖と科学館*
昔、釧路の科学館は春採湖のそばにあった。
山で育ったわたしには、街を抜けていく科学館は別世界のよう。
まだ山に住んでいた頃、両親に連れて行ってもらった記憶がある。
調べてみたら科学館ができたのは、わたしが生まれた昭和38年だったので、小学生になる前に行っていたなら、まだできたてホヤホヤだった頃。
確かに新しくて、人がたくさんいたのを覚えている。
見るのもすべてが珍しくて不思議でいっぱい。
何をみても飽きずに、ずっと見ていられそうだった。
本当に楽しかった。
でも、当時はそこが科学館という名前だとは知らなかった。
わたしの小学校時代、我が家は妹の入院、手術で時間的金銭的に余裕がなく科学館へ行ったことがあったかどうか定かではない。
我が家には自家用車がなかったので、足の不自由な妹を連れて街の反対側の科学館への移動は難しかったと思う。
中学生になって、友達と出かけるようになって、再び科学館が身近になった。
科学館を見学して(子どもの頃と変わらない展示にちょっと感動した)科学館の横の斜面を下って春採湖岸を散策しながら、ボート乗り場までいく。
ボートに乗って、バスで帰る。
そんな日曜日が楽しかった。
ボートに乗らない日は、木登りしたり追いかけっこをしたり、箸が転がっても可笑しい年ごろのわたし達。
笑ってばかりいた休日だった。
まだ博物館も市立病院もコーチャンフォーも六花亭もない時代。
科学館への入口に東中学校があって、ハマナスの真っ赤な実がなっていて綺麗だったこと。
科学館の駐車場から眺めた春採湖やその向こうの海が綺麗だったこと。
当時、鳥取に住んでいたわたしには、春採湖の向こう側は未知の世界だった。
科学館に来るだけでも、ずいぶん遠くにきて大人になったような気がした。
たぶん、独りだったら楽しくなかった。
あんなにも景色は輝いて見えなかったと思う。
一緒に笑ってくれた、隣を歩いてくれた人がいたから楽しかったのだと思う。
時間の共有が宝物だった。
あの時、一緒に笑いあった彼女は元気にしているだろうか?
まだ携帯電話もスマホもない時代。
筆不精だとつながりも断ち切れてしまう。
しあわせだったらいいな。
いま、春採湖のそばを通るたび、そんなことを思っている。
鳥取から武佐に住まいを移した実家の母は、孫たちと飽きるほど科学館へ通っていた。
科学館には、しあわせな記憶がつまっていた。
何年か前、板を打ち付けられた科学館を眺めたとき、ひとつの時代の終わりを感じた。
ありがとう科学館。
ちなみに中学生だったわたし達は、春採湖に行くのに街までバスで行って、そこから歩いて行っていた。
その道中のおしゃべりも楽しかった。
元気だったなぁー。