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クライシスを迎えたミドルエイジ男性は次の時代の希望の鍵なのかもしれない-男性のミドルエイジクライシスレポ①

先日「男性のミドルエイジクライシスについて話をしたい!」という投稿をし、一旦声をかけてくださった方10名程の方々とお話をしました。
(Facebookに投稿した文章をnote用に書き換えたのがこちら
個別のヒアリング兼お話しタイムは産後にも続くのですが、産前最後のアウトプットとして、感謝の気持ちと共に話をしてみて感じていることをまとめてみます。

■時代を生き抜いてきた、ミドルエイジの男性たちすごい


会社を支えるため、家族を支えるため、社会にインパクトを出すため、自分で自分を支えるため・・・胸にあったものはそれぞれですが、何かのためにたくさん我慢して、能力を高めて貢献して、というそのパワーはとてつもないなと感じました。
少しでも気を抜いたら、つらい・大変だということを感じてしまったら、頑張れなくなってしまうかもしれない、という中で、とにかく走り続けてきたそのエネルギーで、社会の発展があったことを、改めて実感しています。

■どこにも弱みなんて出す場所はない。信頼できない


同時に、上記の中で、どこにも本音や弱み→「できない」「つらい」を出す場所はなかったんだなと。
「出したいのに出せない」というよりは、何名かの言葉から感じたのは「出すという選択肢すら思いつかない」というニュアンスでした。気づいてしまったら、気づかれてしまったら、頑張れないことを無意識で感じていて、あえてそこに目を向けることもしないというか。
「対話」や「感情・ありのままを出しあいましょう」といったテーマの場を設定すると、参加者がほぼ女性になるのは、男性に元々関心がないからではなく、関心をもっていたらやっていけない構造の中にいたからなんだと思いました。
また、仮に出したいと思って、「出していいよ」と言われたとして、信用できない。
特に「感情」や「弱さ」みたいなところは、同じ男だから分かり合えるというものでもない。(愚痴を言い合うとか茶化しあうはできるけど)
漏らしたところから足元をすくわれるかもしれない、出しても受け止めてもらえなかったがっかり経験になってしまう。そんなリスクのあることをわざわざやろうと思わないのも当然だなと思いました。

■クライシスになるかと、社会的成功は全く関係ない


クライシスは、「社会的にも成功している・人生が充実しているように見える」からといってならないわけはなく、むしろバリバリにやってきた人たちにも突然訪れるものなんだなというのを、文献からも対話からも実感しています。
誰かや何かのために頑張り続けてきて、自分の感情や願いが分からなくなってくることに、外側から向き合わされることが起きて無理やり向かされるとか、そんな印象を持ちました。

■まだまだケースは少ないが、出せるとほっとして変容していく


上記のような状態なので、そもそも「弱みや不安を認めて出してみるといい影響がある」なんて思えずそこにハードルがあるのが今です。
が、まだまだ場所もケースも少ないものの、それができた人たちが一定「出せてほっとする」という実感を得ているということも今回分かってきました。
自分の今の感情と構造に向き合ってみるような学びの場もそうですし、相手は必ずしも人ではない=自然の中にいる時に自然に受け止めてもらって認められた、というケースもあるようです。どこでもいいから、目を向けてこなかったところに自分が気が付いて、そっと出してみる。それが、何かしら受け止められた実感が持てる。
それができると、他の場所でも自然に出せるようになり、「出せない」ことが原因で流れが悪くなっているものが循環していき、自分の気持ちや周りの反応もおのずと変わっていく、みたいなことが起きるんだなーと感じています。

■ミドルエイジ男性との関係性で痛みの経験がある女性が、今回の呼びかけにに呼応してくれている


今回、何名かの女性が「このトピックに関心がある!」と連絡をくれました。
不思議なことに、連絡をくれた女性陣はみなさん、「中年男性との関係性において苦しいやり取りをしてきた」方々ばかりでした。
厄介だなと感じることがありながら、でもその行動の裏にあるものや、そうすることになった時代や構造への共感もあるからなのかもしれない、と感じています。
対話のできないタイプのSNSとかだと、男性VS女性にされたり、という「わかりやすい対立」にすぐされてしまうのですが、本当は同じ時代の中でそれぞれ痛みを感じてきて、それを受け止めあえるといいんだろうな、と感じているし、それができそうな人たちが現れてきている、という風にも見えています。どちらも「もう今までのやり方は無理」と感じている。
ひと昔前には無理だったけど、今だからこそ超えられる何かがあるように思います。

■ミドルエイジ男性の変容は、若者の希望になる


今の若い世代は、仕事へのとらえ方や家族に対する考え方、それらへのコミットの感覚が全然違います。
彼らは、ミドルエイジの男性の社会的な成功例とかを提示されるよりも、クライシスになりながらも、頑張ってきたこと、そこで失敗したこと、弱いところ、悩んでいる事、今も次に何をしたいか決まってないこと、等を吐露できる大人を「かっこいい」と感じている感性がすでに備わっているなと感じます。
それぞれが努力して自己責任になることを元に分断されてしまっている世界観から、つながっている安心感の中で感じていることを分かち合え、お互いの喜びをサポートしあえる世界への橋渡しが既に始まっています。
そこに、すべての責任を背負い、社会的成功を収める姿ではなく、感覚や弱さも大事にありのままにふるまうミドルエイジの男性の姿がとてつもないインパクトを及ぼす気がしているのです。

■半径5mから細々とやっていきたい


と、一旦、今回は感想のような中間レポートでした。
まだお話をしてくださる方々がいらっしゃるので、まずは一人一人とじっくりとこのテーマを置いてお互いにあるものを話したいと思っています。
その上で、
・まずは分かち合える素地のある人たちで場を持ってみる
・「成功事例」ではなく、「今まさに迷ってそこにチャレンジしている姿の具体が感じられる」(何等か発信系)
がやっていきたいことのイメージのベースになりそうかな、と感じています。
練りこんで大大的に何か!ではなく、小さくアジャイル的にどんどんやっていきたいなと思っているので、付き合うよ!と言ってくださった方々とまずはそんなことをしていきたいと思っています。

■感謝


まだ具体的な活動でもない「話してみたい」という問いかけに、リアクションをくださり、時間をくださった方々に改めてお礼を伝えたいです。
「どんなことを感じているのか、感じあいたい」という根本ニーズを深く感じられる時間で、一人一人とのお話の時間が、とてもいとおしくて幸福な時間でした。
つながってくれている人たちへの感謝と、分かち合ってくれる幸せを感じました。
この後お時間をくださると言ってくれた方々も、引き続きよろしくお願いします!
※読んでみて、追加で個別に話してみたい!と思ってくださったお知り合いの方も、引き続きお声かけ下さい!

■最後に


なんとなくおいておきたいこととして。
今回のテーマは、決して慈善活動的な意味合いとか、誰かのためにとか社会のためにやりたいとは、思ってません。
私が、今のミドルエイジ世代が請け負ってきたものにとてつもなく痛みを感じていて、今の痛みのままいくのではなく、生きている間に、せっかく同じ時代に生きた人たちと、より安心してお互いに分かち合える体験を自分がしたいし、これからの時代を生きる息子たちがそういう中で人生を味わってほしい、という感覚です。
そこは忘れずにやっていきたいなーと思います。


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