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捨てられないのは思い出なんだね

「泣きながら捨てた」

私の先を行く先輩がいっておりました。

この先輩を追いかけるように、今の私は生きています。

この先輩がいうことは、いちいちわかるのです。

そう、わかる。

もう、いちいち「わかる〜!」という共感の嵐に襲われるのです。


けど、けどね、

実はそれほどわかっていなかった私に気がつきました…。

「泣きながら捨てた」

聞きながら「わかる〜!」と口にもしたし、心が「わかる〜!」と叫んでたというのに。

もう「わかる〜!」が共鳴してすごいことになっていたというのに。

けど、私のその「わかる〜!」は浅かった...。

「泣きながら捨てた」と彼女がいっていた次の日。

私の全財産であるスーツケース二個を、一個にするために「捨てた」私。

はい、私も泣きながら捨てました。

そして、その衝撃たるや、私の理解を超越していて怖いほどでした。

私の理解度よ、浅かったな...。

手にとっては、あの日を思うのです。

どう転んでも捨てられるわけがない...そんなことばが心の中から湧き上がり、ことばは頭の中いっぱいになります。

置いてみる。

そして、しばらく眺めては、あの日を思う私が止まりません。

もう、心ここに在らず。

それでも、意を決してもう一度手にとります。

なにやってるんだろう私...。
どうして捨てなくちゃいけないんだろう...。

そして、またあの日を思うのです。


私たちが、捨てられないのは物ではありません。

捨てられないのは思い出。

思い出は記憶です。

そして、記憶はあの日の私そのもの。

それを捨てるということは、ある意味、私自身を捨てる行為なのでしょう...。

あの日のあの笑顔。
あのときの会話。

思わずスマホに手を伸ばし、あの日の写真を眺めます。

なにやってるんだろう私...。

これがエンドレスでやってくることを、私たちは「捨てる」と呼びますw

もう、決意はどこへやら。

テッシュ片手に嗚咽とまではいきませんが、ボロボロ泣ける。


捨てるとき気づきます。

捨てられないのは思い出だって。

捨てられないのは物ではなくて、あの日の思い出だって。



それでも進む。
決めたから。

もう後戻りできないなんてことではない。
できないんじゃなく、戻らない。


彼女を(勝手に)先輩と呼び、その人の後を追いかけるような今回の私の決断。

先輩がいなければ、今回の私の決断はなかったとさえ思っています。

彼女の決断は、それほど私に衝撃を与えたし、もうアラフィフだし...と心にいい聞かせている自分が浮き彫りになったし。

今の現実を、実は一番不本意だと感じているのが「私」だということを気づかせてももらったし。

そう、不本意だったときの自分に戻る理由が私には見当たらない。

戻れないのではなく戻らない。

はい、私も泣きながら捨てました。

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