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怒りを抱えている私を否定せず

去年の離婚。

元夫が、私ではない人を選んで、そして私のもとを去ったということ。

そんなこと、百も承知。

「私ではない人」に奪われた訳ではない。

元夫が私のもとを去った。

元夫が、元夫の意識で私のもとから去った。

こちらが事実。


けど、矛先が「私ではない人(相手の女)」から離れない。

その人から離れません。

ただ、その人への「思い」は、ずいぶんと和らぎましたけど。


そう「私ではない人(相手の女)」。

矛先がそこから離れないことは、悔しいけど認めざるを得ません。

そして、もうその人は「私ではない人」でも「相手の女」でもないということ。

私の方が「あの女」「前の女」といった表現が相応しいということ。

馬鹿でもないので、そんなことは理解します。


これは怒り。


怒りは私たちを振り回します。

誰かへの怒り。

自分自身への怒り。

怒りを抱えたままの人生は辛すぎます。



私、通勤で地下鉄に乗ります。

電車は、元夫と「私ではない人(相手の女)」が出会った街を通過します。

私としては、通りたくない街(駅)です。

駅名のアナウンスが電車の中に流れると、平常心を保てません。

その駅が近づくと、心身ともに緊張が走ります。

怒りのような悲しみが走ります。

次に幸せだったころを思い出します。

だって、その街での楽しい思い出もあるのですよ。

それにしても何たるコンビネーション。

怒りのような悲しみと、幸せだったころを同時に思い出すなんて。

しかも、そこそこ混んでいるけど、清々しい朝の通勤電車の中で。

心はあっという間に混乱を極めます。

次に、混乱していないふりをします。

誰に?

何のために?

何で自分に嘘をつくんだろう。

そんな必要がどこにあるんだろう...。

そんな自問自答。

そして、それから、こんなことを思います。

それもこれも、何ひとつ私のせいじゃない。

ん〜...そんなこともないはず。

私にだって原因がある。

そんなことくらいわかってる...。

こんな感じです。

意図して、そんな精神状態にしがみついているわけではないのですけど。

今でも毎日がこんな日々。

誰かへの怒り。

自分自身への怒り。


怒りは私たちを振り回します。

怒りを抱えたままの人生は辛すぎます。

私は「怒り」を捨てたいのに。

私は「怒り」を抱えている。

私は怒りを抱えている。


そこから逃げないで、そんな私だということを理解するところから。

そこからなんだ。

ポトンと置きたい。

怒りをポトンと床の上に。

抱えていた荷物をポトンと床に置くように。

抱えている私も私。

手放したい私も私。

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