しきから聞いた話 190 鷺の宮
「鷺の宮」
知人の紹介で訪れたのは、川辺に大きな水車のある公園だった。
迎えに出てきてくれたのは、公園の中にある環境保護の施設職員で、田中という人物だった。50代くらい、骨太のよく日に焼けた男で、いかつい顔つきだが笑うと愛嬌がある。誠実そうな人物だな、と思った。
「わざわざありがとうございます、どうぞ、中へ。少しご説明させていただきます」
連れていかれた事務所は、道の駅の土産物屋の奥にあった。座った目の前にペットボトルの茶が置かれ「こんなんで、すみません」と頭を下げながら話し始めた田中によると、用向きはおよそ、こんなところだった。
この辺りは、清い水の豊かな水郷として名の知られた土地で、古くから水車が利用されていた。それを観光の売りとして整備されたのがこの公園で、水生の動植物の保護や研究を合わせて、この施設で行っている。川の水質改善や動植物の保護は、順調に成果を上げており、近年では特に水辺の鳥達が数を増やしてきている。
ところが。困った問題も増えてきているのだ。
「水がきれいになってきたので、魚が増えてきました。魚が増えれば、水鳥も増えます。でも、増えるのはそれだけじゃなくて」
釣りに来る者が増え、ゴミも増えた。
「ただのゴミも困りますが、釣りの人達が捨てた釣り糸が、鳥の足にからまって動けなくなり、死ぬことも増えてきました。それに、ゴミじゃないですが、外来の魚が放されることも増えています」
田中は口をとがらせ、小さくため息をついた。
「多くの自治体で、似たような問題を抱えていますが、これだという解決方法はありません。うちでも、看板を立ててみたり、昼間は見回りもしますが、なかなか」
そこで出されたアイデアのひとつが
「お稲荷さんとか、何かお宮を建てて、ここは大事にしないとバチが当たる、みたいに思わせたらどうか、と」
なんともそれは。あまり褒められたやり方とは言い難いが、いわば苦肉の策なのだろう。立小便を防ぐのに赤い鳥居を描くのは、一定の効果があると聞いたこともある。
「いや、その、形だけというつもりじゃないんです。建てたからにはきちんとお祀りします」
そうだ。この話を持って来たのは知人の住職で、田中は寺の生まれだと言っていた。ただし次男で、子供の頃から、寺を継ぐ気持ちは無かったらしい。
いい加減な思いつきでないことはわかった。
宮を建てる費用も、周辺の農家や地主が、かなり寄進をすると言ってくれているという。それなら前向きに進めよう、というところまで話ができた。
「それじゃ、場所を見ていただいていいですか。色々と考えて、今のところ、ここが一番と思っているところがあるんです」
急かされるように外へ出ると、田中が先に立って歩き出した。
広い川幅、豊かな水量、河原は狭い。右手の方へ進んで行くと、川から田んぼへと水を引く、大きな用水路があった。その入り口で田中が立ち止まる。
「この先に水門があります。そこまではずっと浅瀬で、水草が茂っています。このあたりには以前から、白鷺がたくさん来ているんです。今回「白鷺の郷」っていうキャッチコピーも考えていて、白鷺のためにも環境を整えよう、釣りはここではやめよう、外来魚を放すのもやめよう、と」
用水路の手前に宮を建てると、公園の公衆便所に入る動線から、よく見えるのだという。釣りに来る者達も、公衆便所はよく使う。さらに、観光目的の人々には、白鷺の群れを見てもらえる、といった寸法だった。
特に、これといって問題は無いように思われた。
あとは、どのような神仏を勧請するか、だ。
もう少し場所をよく見させてもらいたいと言うと
「はい。そうおっしゃるかと思って、近くの宿を取っておきました」
にこりと田中が笑う。
こんなふうに話しが進むときは、流れに任せるのがよい。
では、明日の朝、ここをひとりで見させてもらって、午前中にまた話しをしようということになった。
「じゃあ、宿までお送りします。いや、歩いてもすぐなんですけどね」
田中について駐車場に進んで行くと、入り口に大きな鳥がいた。
青鷺だ。
青灰色の大きな体。長い脚。四白眼のどこを見ているかわからない眼。
何やら、唐突な景色だ。
「こらっ こらっ」
田中が突然走って行って、青鷺を追い立てる。
何か問題のある鳥なのだろうか。
「いや、そうじゃないんですが。青鷺も田んぼなんかにいる分にはいいんですけど、あいつら変に人慣れしているでしょ。釣りのSNSか何かで、このへんの青鷺は釣った魚をもらいに来る、なんて人気になっちゃって。困るんですよね、そっちで人が集まるのは」
なるほど。確かに青鷺という鳥は、そういう不思議なところがある。人慣れというか、物怖じしないのだ。懐きはしないのに、面白い鳥だ。
「それじゃまた明日、よろしくお願いします」
田中が用意してくれた宿は、静かで食事も美味い、よいところだった。部屋は中庭に面した一階で、風の通りが心地良かった。
早めに床についた、その夜半過ぎ。
「もし、もし」
呼ばれて、目が覚めた。
呼ばれてはいるが、声はしない。これはひとの訪れではない。何だろうと思いつつ、呼ぶものの方、中庭に面した障子を開けた。
「夜分に、恐れ入ります」
立っていたのは、一羽の白鷺だった。
「あなたさまを、たいへんなお力をお持ちの方とお見受け致しまして、お願いに参りました」
それほどの者ではない。だが、何の用だ。
「はい。実は」
白鷺は、四白眼のどこを見ているのかわからない目線を一度足元に落とし、すぐまたくちばしごと顔をこちらに向けて、こう言った。
「わたくしを、青鷺に変えていただけないでしょうか」
何だと。白鷺を? 青鷺に?
「はい。そういったお頼みは、いけませんでしょうか」
いけないも何も、それはかなり無理がある。しかし、どうしてまた、青鷺になりたいと言うのか。
「はい。命を助けていただきました。この身を捧げて、感謝をお伝えしたいと考えております」
詳しく話しを聞くと、こんな事情だった。
白鷺はこの夏の始め、捨てられた釣り糸が足に絡みつき、身動きが不自由になり、翼までも傷めてしまった。糸はなんとか奇跡のように外れたのだが、しばらく動けない。その間に身を潜めていた草むらに、一羽の青鷺が何度もやって来て、食べ物を運び、優しく気遣いをしてくれた。元気になって感謝を伝えようとしたが、気にしなくてよい、おまえの場所へ戻ればよいのだと言われた。
「青鷺と白鷺は、性質が違います。青鷺に較べるとわたくしたち白鷺は、気が弱く神経質です。同じようには暮らせない、ということです。けれど」
白鷺は、懸命な口調で話し続けた。
この白鷺は、青鷺に、恋をしているのだろう。
「この辺りでは、なぜか人間が白鷺を守ろうとし、青鷺を追い払おうとします。わたくしには、それが、耐えられないのです。せめてお傍にいられるのならばよいのですが、あの方が人間に追われる様子など、胸がつぶれそうです。あの方に酷いことをする人間になど、守られたくない」
白鷺は涙を流して、さめざめと泣き始めた。
四白眼に表情は見てとれなかったが、心の底からの想いは伝わってきた。これだけ真っ直ぐだと、どうにかしてやらねばという心持ちになる。
それでは。
田中に頼まれた宮には、アマノヒナトリノミコトを勧請しよう。この尊ならば鳥の味方になって下さるし、白鷺を青鷺に変えることは無理でも、見るものの目に区別がつかぬようにするくらいならできる。そういった遊び心のある尊にお頼みすれば、何事もうまく運んで下さるだろう。
「わたくしが、青鷺と共におりましても、大丈夫ですか。青鷺はもう、人間に追われませんか」
少し時間はかかるだろうが、鳥の神が、鳥達に無体を強いるはずがない。きっとうまく変わっていくよ、と言うと、白鷺はまた涙を流し、何度も何度も礼を述べて帰っていった。
夜空に飛び去っていく白鷺の姿を見送りながら、はたと思った。
なぜ青鷺は、白鷺を助けよう、面倒を見ようと思ったのだろう。
まさか、あの不思議な鳥のこと、単なる思いつき、気まぐれというのではなかろうか。
これは、鳥の縁結びも合わせて祈らないといけないな、と思った。