しきから聞いた話 180 気弱なほとけ
「気弱なほとけ」
その家では代々、家の仏壇に入る者達はみな、三回忌までは成仏しない、と言われてきた。
成仏、する。
では、成仏とは何か。
「なんだろうねぇ。なんか、姿を見せなくなると、成仏したって言うよね」
仏壇の前であぐらをかいた長男が、そう言った。
「あら、私はおばあちゃんから、この家の先祖はみんなのんびりしてるから、仏さまになるのに時間がかかるって聞いたわよ。仏さまになって、生きてる人達を守ってくれるのが、成仏なんでしょ」
「なんだい、そりゃ」
「ねえ、おばあちゃん」
長男のすぐ横に、その母であるおばあちゃん、そのまた横に長男の嫁が座っている。目の前で3人は先程から、灯明をともした仏壇を眺めながら、雑談をしている。
おばあちゃんはもう、ずいぶんと耳が遠くて、長男と嫁の話が聞こえているか怪しい。が、なんとなくふたりに合わせて、うなずいたり、少し笑ったりしていた。
「親父、今日は出てきてくれるかなぁ」
長男が、少し困ったような調子で言った。
今日は、午後から菩提寺の住職が来て、一周忌の法要をすることになっていた。
朝早くにここに呼ばれたのはそのためで、住職が来る前に、仏壇の中の様子を見てほしいと頼まれていた。
そもそも、それを言ってきたのは、住職だった。
「知ってるだろ、あの、西之谷の地主さんの家。三回忌までは本当に、出るんだよ」
そう言った住職は、胸の前で両手をぶらんとして見せた。
「ところが、昨年亡くなったご主人が、四十九日の法要に、出て来なかったんだ。おばあちゃんも、息子さんも、なんだかすごく心配してさ」
普通なら、迷わず成仏したのだから出て来ない、と思うところだが、この家の場合そうはいかない。
住職は第六感がさっぱり働かない。なので、様子を見てくれと頼まれた。
引き受けて、さらに話を聞いてみると、もしやあれが原因ではないかと、思い当たる節があると言う。
「あの家、四十九日までちゃんと、七日ごとに呼ばれて行ったんだけどね、なんだか徐々に、御主人の影が薄くなっていくんだって。いや、私には見えないんだけどさ」
見えるのは、故人の妻であるおばあちゃんと、長男、嫁、そして今は遠方に住んでいる次男。
「そんなに昔のことは私も知らないけど、あの家の血縁と、家に入った人には、だいたい見えるのが普通らしいんだ。ところが、葬儀でも逮夜でも、次男の子供、つまり孫達だけど、全然見えなかったって言うんだよね」
孫達は怖がって、長男や次男に「見えないのか」「見えないはずがない」と幾度も詰め寄られ、泣きながら、見えない、見たくないと叫んだそうだ。
「それで、御主人はすごく淋しそうな顔になって、だんだん姿が薄くなってって、おばあちゃん、泣きそうになってね」
困っちゃったよ、と住職は眉を寄せ、首をゆるゆると振った。
四十九日には、ついに、御主人は姿を現さなかった。
そのときはそれでも、その日のうちに納骨もあるし、あわただしく過ごした一日だったので、うやむやになった。
それから一年が過ぎ、さあ、そろそろ一周忌だとなって、もしや故人が迷っているのではないか、それとももしや、家がおかしくなったのか、と、心配でたまらなくなってきたらしい。
そんなわけで、一周忌法要の日の朝、家を訪れる運びとなった。
そもそも、故人はどんなふうに、姿を現すのか。
「俺は、仏壇の奥の方に、ローソクの火みたいなのが見えて、大きくなるな、明るくなってきた、と思ったら、仏壇の前に座ってた、みたいな」
長男がそう言うと、嫁がふうんと口を尖らせた。
「そうなの。私、そういうのはないわ。なんだかお経が始まったら、あれ、座ってるのおじいちゃんだ、って。不思議なかんじ」
ふたりとも、姿は全身が見えるようだ。
おばあちゃんはどうだろう。
「ねぇ、おばあちゃんは? どう見えるの」
嫁が、顔をのぞき込むようにしながら尋ねると、おばあちゃんは小さく丸めていた背中をゆっくりと伸ばし、仏壇をじっと見つめた。
「ね、おばあちゃん」
再度、嫁が声をかけると、突然、すっと立ち上がった。
びっくりするくらい、すっと、糸か何かで引き上げられたように立ち、仏壇に近付いていく。そして。
「おじいさんっ」
またもやびっくりするくらい、大きな、はっきりとした声で、喋りだした。
「おじいさん、いい加減にして下さい。この家の決まりなんだから、ちゃんと出てきて下さい。なんで、みんなを心配させるんですか」
声が大きいのは、耳が悪いせいかもしれない。しかし、その口調のはっきりしていること、力強いことには驚いた。
「あっ 出てきた」
長男が声を上げた。
見ると、仏壇の中に光が現れ、それが徐々に明るくなってゆく。待つまでもなく、昨年亡くなった御主人が、目の前に座った。正座をし、うつむいている。
ずいぶんはっきりとした姿だ。
「おじいさん、やっぱり、出て来られるんでしょ。なんで、こないだは出てこなかったの」
おばあちゃんは、御主人の前に仁王立ちになって、ぐっと拳を握りしめている。
怒っているようだ。
御主人はちらりと目を上げておばあちゃんを見ると、すぐにまた目を伏せて、ぺこりぺこりと頭を下げた。
(すまん、悪かった。でも、孫達が怖がるから、なんだか、だって、嫌われたくなくて)
御主人の想いが、伝わってくる。
長男、嫁を見ると、こくこくとうなずいている。どうやら、声は聞こえなくとも、伝わっているようだ。
「この家の、決まりなんだからっ」
おばあちゃんが、声を張り上げた。
やれやれ。
住職はもうすぐ来るだろう。
それまでに、おばあちゃんをなだめて、この場を収めなければなるまい。