しきから聞いた話 109 けいとう
「けいとう」
小さな漁港から山の方へ、少し入っていった道のつきあたりに、古くて小さな寺があった。
庵主は80歳を過ぎた尼僧で、数年前までは40代くらいの手伝いの女がいたが、どういった事情か、今はひとり住まいをしている。以前ちょっとしたことで縁ができてから、ときどき様子を見に来る程度だが、庵主の静かな居ずまいが好ましく感じられ、訪ねるのを楽しみにしていた。
その日は早朝からの蝉時雨の中、ずんと持ち重りのする西瓜をぶら下げて訪れた。
これは、漁港近くに住む人からの預かりもので、庵主の体を心配して、水分をよく摂るようにと、言づても預かって来た。
物音のする庫裡をのぞくと、庵主の小さく丸い背中が見えた。声をかけると、ひょろりと振り向く。身ごなしは、なかなか機敏だ。
「おや、よう来たね。暑い中、ご苦労さん」
手の中には、つやつやと丸い茗荷が二つ三つ見える。取ってきたらしい。
「昼はそうめん。食べてくやろ」
もちろん。
勝手に上がり込んで、大きな冷蔵庫を開ける。西瓜は、ふたつに切ればなんとか入りそうだ。流しの脇から包丁を取って、いざ、と肩を上げたところで足音がした。
「お帰り」
庵主が、優しい声で迎える。
振り向くと、十二、三歳と見える痩せた少女が、背を丸め、うつむきがちに立っていた。
「お客さん。ご挨拶、できるやろ」
こくんとうなずいた少女は、ちらりと目を上げて、すぐまた足元に目を落とし、ぼそぼそとつぶやいた。
「こんにちは、え、と、いらっしゃいませ」
いかにも慣れていない様子だ。
庵主は近付いて、軽く背をさすってやった。
「はい、ええよ。そしたら昼まで、ちょこと裏の掃除しといて。暑いから、休み休み、な」
少女はまた、こくんとうなずいて、出て行った。
あの少女は。
「ほうよ。狸。こないだまで一緒におったおかあが、車に轢かれてしもて。ここに居りたいとゆうから、姿、変えたったの」
高齢の庵主としても、手伝いの若い者がいるのは、助かるのだろう。いずれにせよ、庵主がいきもの達に、非道を強いるはずがない。
西瓜を切って冷蔵庫に押し込む間に、庵主はちゃっちゃと台所仕事を片付け、頭に手ぬぐいをのせてから、麦わら帽子をかぶった。
「さて、手伝おうかいね」
すたすたと、庫裡を出て行く。
「あの子のおかあは不思議な狸でな、なんでだか、ほかの生き物が大好きで、ひとを怖がりもせなんで、なぁ」
庵主は物置きからほうきを出し、こちらにもよこして、裏手へと歩いていく。歩きながら、少女の母の話を続けた。
母狸は、庵主のもとへよく遊びに来て、山菜やきのこを置いていった。ひとの暮らしについて聞くのが好きで、ひとの住むところへ行くなら、どんなことに気を付けなければいけないか、とか、ひとの使う道具とは、どういったものなのか、とか、どんな話も熱心に聞き、尋ねていた。そしてまた、ひとの近くにいる生き物が好きで、庭で遊ぶ犬や、ガラス窓の中の猫を、少し離れたところから、いつまでもながめていた。
「でな、あの狸が、いちばん好きだったのが、な」
庵主はそこまで話すと、いかにも可笑しいというように、くっくっと笑った。
「いちばん好きなのが、ニワトリよ」
何がそんなに可笑しいのだろう。
「ニワトリの、とさかが大好きで、どうしてあんなに真っ赤っ赤で、ふるふると綺麗で、立派なのでしょう、わたしもあんな、素敵な飾りがほしいなぁ、て」
くっくっと笑いながら、庵主は目尻をぬぐった。
笑い声がやんで、きゅっと下唇を噛んだ。
「車なんぞに轢かれて、かわいそうに。痛かったろうに なぁ」
ほうきを杖がわりにしながら歩いていく先には、苔むした大きな岩がある。それは、庵主が多くのいきもの達を弔い、墓標としている岩だった。
少女が、その前にしゃがんでいた。
「おかあと話してたか」
庵主が声をかけると、少女は立って、曖昧に首をかしげた。
「ううん」
「だいじょぶや。おかあはいつも、守ってくれてはる」
近付いて見ると、ひと群れのケイトウが、すっくと花を咲かせていた。
真っ赤で、ふるふると綺麗な、鶏頭の花。
ここに、庵主の傍らに、狸が眠っている。
生き物と、ひとと、ニワトリのとさかが大好きな、優しい狸が。