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しきから聞いた話 111 送り火の道

「送り火の道」

 年に数回は訪れるその町には、小さな動物園があった。

 外国の大きな動物や、珍しい生き物はいない。そもそもが、動物好きの地主の家で飼われていた牛や山羊などを、子供達に親しんでもらいたいと、自宅敷地を公園のように開放したのが始まりで、やり方が上手だったのだろう、規模も変わらずにずっと続いている。

 その動物園で一番大きな生き物が、牛だ。
 乳牛、肉牛ではなく、かつて農作業に使役していた耕牛が、三頭いる。もちろん今は田畑で働くことはさせず、のんびりと過ごしている。
 そんな生活のゆえか三頭ともに穏やかな性質で、この町に来たときは、彼らに会うことを楽しみにしていた。

 それは八月なかば、お盆休みの時期だった。

 もしや動物園もお盆休みかと思ったら、夏休みの子供達のためか、いつも通りに開園していた。しかし、雲ひとつ無いよく晴れた日で、暑さのためか人影は見当たらない。動物達も皆、日陰を求めて動かず、くたりとしていた。

 三頭の牛は、物置小屋のような、小さな家のような、牛舎の中にいた。
 柵で囲って中には入れないが、ものものしい檻などは無い。
 ああ、涼しいところにいるんだな、と思いつつ、首を伸ばして中を覗くと、手前の一頭と目が合った。

「おや、久しぶり、よく来たね」

 気さくに話しかけて来る。年に数回しか来ないのだが、すっかり馴染みのように迎えてくれる。そもそも、彼らはずっとひとの近くにいる。牛達は、ひとのことをよく知っているのだ。

「今年はまた、ひどい暑さが続くねぇ」
「あれ、珍しいひとが来た」
「どれ。おやおや、この昼日中に、ご苦労なことだ」

 いつも一緒にいる、仲の良い三頭だ。外に出ては来ないが、小屋の入り口あたりに大きな頭を並べて、口々に挨拶をくれた。

 ふと、奥にもうひとつ、影のように動くものが目についた。
 なんだろうと、さらに首を伸ばすと、左端の一頭がもぞもぞと足踏みをした。

「おや。やっぱり、あんたにはわかるんだね」

 少し動いて隙間ができたところに、さらに一頭が、ひょこりと頭を出す。
 左端がしきりに耳を動かしながら、こう言った。

「覚えているかね。三年前に死んだ、じぃさまだよ」

 とっさには、言葉の意味が呑み込めなかった。
 こちらの様子を見て、じぃさまと呼ばれた牛が、笑うように鼻を鳴らした。

「お盆だからよ、地主のじいさま、ばあさまといっしょに、里帰りだ」

 ああ、そういうことか。
 思い出した。いつも口のまわりをよだれの泡だらけにして、必ず天気の話をした、年寄り牛。じぃさまだ。
 なんとまあ、このじぃさまのまるで、生きているような様子は、どうだ。

 いちばん手前の一頭が、じぃさまの方へ鼻を向け、上下に首を振った。

「たまにこうして来てくれると、懐かしくていいな」
「そうよ、たまに来るからおめえ達も、優しくしてくれるのな」

 じぃさまがまた、笑うように鼻を鳴らす。

「そりゃそうだ」
「たしかに」

 四頭がそれぞれ愉快そうに、鼻を鳴らす。

 お盆は明日が送り火だが、それで帰ってしまうのかい、と訊くと、じぃさまはのんびりと笑った。

「そうとも。ゆっくり、ゆっくり。じいさま、ばあさま。振り返り、振り返り、帰ってゆくのよ」

 寂しいとか、悲しいといった心持ちは、ほとんど感じられなかった。

 また、来年。
 きっと楽しみに、また来るから。

 じぃさまの真っ黒な瞳は、穏やかに優しく、うるんでいた。


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