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しきから聞いた話 147 抜け殻

「抜け殻」

 里山の、少し奥まった、車は通れないだろうと思われる細い道を歩いていた。

 用事を終えた帰り道で、歩みはのんびりとしたものだ。山桜の花びらが散りまかれているところや、この春初めての銀竜草が顔を出しているところ、楽しい道々をゆっくりと過ごす。
 人の手もある程度入っているようで、さまざまな樹種が生い茂りながらも、荒れた感じはしない。

 ふと、古い切り株に目が留まった。

 切られて数年は経っているだろう。ひとかかえもある幹の平らな切り口は、苔や泥におおわれている。しかし、根は生きており、脇から出たひこばえが、腰の高さほどまでに伸びていた。

 そのひこばえの、少し根元に下がったところに、季節はずれのものを見つけた。
 セミの、抜け殻だ。

 周りの枝が、うまく雨風をよけてくれたのだろう、先の季節のものだとして、半年はここに居たとみえる。
 透明感のある、薄い飴色。小さな体。
 ヒグラシではないだろうか。このあたりでは毎年、ヒグラシがよく鳴いている。

 静かな春の里山では、今、若い鳥達の澄んださえずりが響いている。そして、夏は濃い緑の葉擦れ、ざわめき、アブラゼミやミンミンゼミの大合唱。やがて、ヒグラシ。あの寂しげな、美しい音は、夏の終わり秋の予感を連れて、胸に染みてくる。

 静かな春の里山で、ヒグラシの音を想い起しながら、小さな抜け殻を見ていると、その飴色の乾ききった体の周囲に、ちらちらと光が動くのが見えてきた。

 七色、というほど鮮やかに色が分かれているのではない。淡い、にじむような薄紅、薄黄、薄青、か。

 当たり前のことだが、この抜け殻の主は、もう死んでいるのだな、と思いながら見つめていると、細い細い琴線をつま弾くような想いが伝わってきた。

「ひたすら、ひたすら土の中で生きたのは、何も辛くなかった。もう時が来た、さあ、土から出ようというときは、ただそうするものなのだと感じた。ただそれだけのはずなのに、なぜ、ここにいるのだろう。欲しいものも、行きたいところもないのに、なぜここに居続けているのだろう」

 セミというのは存外、人の思念をよく感じている生き物らしい。その、かつてセミだった淡い光は、人から向けられた想いを、いくつもいくつも覚えているようだった。

「何年も土の中で耐えて過ごして、ようやく、おとなになる」

「たった、六日、七日しか、生きられない」

「なんて一生懸命に、鳴くのだろう」

 寄せられる想いはしかし、セミにとって、本意ではなかったようだ。
 では、それが口惜しく、だからここに居続けるのか。

 セミが答えた。

「いいえ。そうではありません。ただ・・・」

 あぁ、その想いが伝わってくる。

 なんと美しい、もの悲しい、心に響く音色だろう。

「そうです。この身を震わせる、響かせる、音。それを、儚いと惜しんで下さる想いが、有り難くて、嬉しくて」

 それは、心残りというのだ。
 それがおまえの想いを、たましいを、ここに居続けさせているのだろう。

「嗚呼、、、」

 もう、次へ進んで行けばよいだろう。

 ひこばえにとりついた抜け殻を、そっと指でつまみ取ると、それは、力を入れてもいないのに、かしゅっと小さな音をたててくずれ、淡い光となって、消えてしまった。

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