しきから聞いた話 179 想い雪虫
「想い雪虫」
古い山城の跡に立つ山桜の葉が色づいて、もう半分ほども落ちている。
この数日の朝晩はめっきり冷え込んで、北の空にかかる鈍色の雲は、いまにも雪を降らせそうに重かった。
季節が動き、最初に降る雪は、なるべくこの山城の跡で迎えることにしていた。特に、親しい人を見送った年は、想いのかけらを受け取りに行く。
しかし、親しい人とはどのような人か。気がつけばこのところ毎年、ここに来ているのではなかったか。
ふもとからゆっくり歩いても、小一時間あれば山城のやぐら跡に着く。やぐら跡と言ってはいるが、数年前に地域の観光のためにと、かつてのやぐらを復元している。これが観光にどれほど役立っているかは知らないが、夏にはハイキング客がずいぶん来るらしい。しかしもちろんこの季節になれば、ここまで来る人は滅多にいない。
そのつもりで歩いていたのだが、
「こんにちは」
いきなり声をかけられた。
きれいに整備された山道の先に、やぐらが見えていた。そのやぐらの手前に、中学生くらいの少女が立って、手を振っていた。
ふもとに住む少女。
そうだ。夏前に、ここを教えたのだった。
「やっぱり今日、雪、降りますよね」
にこにこと笑顔を作ってはいるが、その瞳の奥には不安、心配、淋しさが見える。
少女は春先に、家族3人をいっぺんに亡くした。
高速道路での事故で、両親と兄が、即死。姉と少女は骨折したが、命は助かった。
「お姉ちゃん、来られなかったけど、でも」
姉も少女も、骨折は順調に回復した。けれど、姉は、心を病んだ。
「今日、ちゃんと、行ってきますって言ったの、聞いてくれたの。おじいちゃん、おばあちゃんとも、ちょっとだけど、話していました」
それはよかったね、と言うと、少女は泣きそうな目で、口元に笑みを浮かべた。
「雪、降るかな」
この山城に、その冬、最初に降る雪には、雪虫がついてくる。
雪虫は、一年の間に空に放たれた、亡き人の想いを抱えている。
雪と、雪虫と、亡き人の想いは、くるくるとからみ合いながら、降ってくる。それを受け止め、どこまで読み取れるかは、わからない。ただ、毎年、最初の雪はそうなのだ。
「お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと」
少女は小さくつぶやいて、鈍色の空を見上げた。
しばらくふたりで、ただ空を見上げていると、やがて灰白色の結晶が、はらはらと、くるくると、降ってき始めた。
「わ、雪」
少女は両手をまっすぐに天へとさしのべて、ぎゅっと唇を噛みしめた。
雪と、雪虫が、想いを地上に降らせてゆく。
天に往くには重すぎる想いを、少しでも、かけらでも、地上地下に流してゆくために、くるくると、はらはらと、空に放たれた想いを、地に残した人へ還してゆく。
「うう、ううっ、うーっ」
少女はぼたぼたと涙を流しながら、それでも空を見上げていた。
少女の周りに、雪虫が集まってゆく。
「ごめんね」
「ごめんよ」
「悲しませて、ごめんね」
「そんなに頑張らなくていいよ」
「泣いていいんだ」
「ごめんね」
うう、と嗚咽を抑えていた少女が、耐えかねて、うわぁっと声を上げた。
わぁぁっと号泣する。
雪虫が、さらに集まってゆく。
もう、父母兄だけではない。たくさんの想いが、少女を取り巻いている。
「泣いていいんだよ」
「頑張らなくていいんだよ」
少女には今、この場所、この言葉が、必要なのだ。
泣くこと、弱くなることが必要なのだ。
時間は充分にある。
あとは家まで、きちんと送ってあげよう。