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しきから聞いた話 67 光る家

「光る家」

 三十三・・・三十三・・・
 夜明け前から、ずっとそんな呼びかけが続いていて、何があるのだろうと思っていたら、懐かしい老人の訃報が朝早くに届いた。

 報せはしかし事後のもので、高齢だった故人の希望で、本当に近い身内だけで葬儀を済ませたことの詫びがまずあり、続いて、屋敷内の変調についての相談が記してあった。

 老人への挨拶がしたかったこともあり、その日の午後には出掛けることにした。

 広い平野の端の辺り。新興住宅地を過ぎて緑が深まる、昔からの集落に老人の屋敷はあった。
 確かにそう記憶していたのだが、駅まで迎えに来てくれた娘さんは、新興住宅地の中でもさらに新しく開発された、分譲地の一画に車を停めた。

「こちらにいらして下さるのは、初めてですよね。父の家は古くて、段差なんかに手を入れて、危なくないようにするのがたいへんだったので、5年前からこちらに引き取ったんですよ」

 老人が、足を骨折してからずいぶんと不自由しているというのは聞いていた。なるほど、新しい家を始めからそのつもりで建ててしまえば、暮らし易さは較べるべくもないだろう。

「亡くなる一ヶ月前までは、それでもずいぶん歩いたり、何やかや動くのはできたんです。でも、梅雨入りの前くらいに風邪を引いたのが長くて、そこからもう、体力が戻りませんでした」

 最期は肺炎でしたけど、と言いながら玄関を開け、廊下を通って奥の仏間に入ったとき、でも老衰ですね、と言って座布団を勧めてくれた。

「こないだが百箇日でした。でも、私達みんな、父みたいに仏さまのこと熱心にできないので、四十九日に納骨した後は、何もしてなかったんです。そうしたら、ここのところで、いろいろ起こり始めて」

 まず、立て続けに家電製品が壊れたのが、始まりだったのではないかと思う。蛍光灯、エアコン、冷蔵庫、炊飯器、パソコン。それから、家鳴りがするようになり、中学生の息子が怖がるようになった。
 それで、どうしようかと思い始めたあたりで、高校生の娘が夢を見るようになった。

「お祖父ちゃんが夢に出てきて、観音さまを拝んでって言うんですって。怒ってるとか、困ってるとかいうふうじゃなく、ただ、普通に。でもうち、観音さまなんてないですし、拝むなんて、どうすればいいかわからなくて」

 それで連絡を寄越したのだという。
 もう、その話だけで解決したようなものだ。こちらに明け方来た「三十三」の呼びかけと、お孫さんの夢の観音さま。

 老人は、信心深い人だった。
 老人の、神仏へ向かう姿勢には、教わるべきものが多かった。まずはそこから入っていって、この先、残った身内がすべきことを示してもらえれば有難い。

 娘さんに許しを得て、仏壇の引き出しをひとつずつ開けた。
 毎日使っていたであろう蠟燭、線香などのほかに、老人が大切にしていたらしい古い手紙や書類などが収められている。しかし、これといったものは無い。ならば、単純に考えよう。
 引き出しの上の方に、数冊収められている経本を出す。
 やはり、いちばん使い込まれているのは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」つまり“観音経”だった。

 鈴(りん)を鳴らし、経本を開き、読誦する。

 この経は、仏教のいくつかの宗派でよく読まれる、とても日常的なものだ。この中には、観世音菩薩、つまり観音さまが、三十三の姿に変化して、人々それぞれに合わせて仏法を説き、導いて下さると書いてある。観音信仰において三十三という数は、とても意味のあるものだ。

 経文を読み始めてまもなく、仏間のあちこちが、かたかたと鳴り始めた。
 気にせずに続けていると、仏壇の上の方が、かすかに光を帯びてきた。
 淡雪のような、霞のような、優しく、静かな、光。

 後ろに座った娘さんを見ると、合掌して、ただ仏壇の中を見つめている。光には気付いていないようだ。
 一巻を読み終えて、家の中全部を見せてもらえるように頼んだ。もう、家の変調の理由は、ほぼ間違いなくわかっていた。
 再度、観音経を読みながら、案内に立った娘さんについて、家中を回った。

 光は、そこかしこにあった。
 廊下の板張りの上、階段の手すり、娘さん夫婦や子供達の部屋の入り口、中の数ヶ所。居間には多い。台所にも。風呂場にも、便所にも、光があった。

 三十三。
 この光は、老人の、感謝の心だ。
 朝起きて、夜寝るまで。目覚めて居場所の変わらずにあることに感謝し、洗面の水に感謝し、朝餉に感謝し、仏間で神仏と先祖に感謝し、居間で茶を飲んで感謝する。
 その感謝のひとつひとつに、神仏が応える。

 神仏は老人の感謝の心に、喜びで応える。
 ひとを慈しみ、護ろうと願う神仏が、その願いをより良く、より強く行えることの喜び。
 それもまた、光だ。
 老人と神仏は、互いに結び合っていた。

 家の中を見て回ると、移動する先であちこちが、かたかたと鳴った。
 案内してくれる娘さんは不安な面持ちで
「大丈夫ですか。どうすればいいのかしら」
 と言った。ひと通り見回って、これは悪いものでは無く、ただ、老人がこれまでずっと拝んできた神仏が、寂しがっているのだと告げた。家電製品が壊れ、家鳴りがやまないでいたのは、さぞかし不安だっただろう。だが、それは見方を変えれば、それまでは老人が、この家のさまざまを、感謝という祈りで支えていたことの証しなのだ。

「これから、どうすればいいでしょうか。父の代わりになんて、無理だと思うわ」

 代わりになることはない。ただ、ほんの少し心の中に、感謝と祈りの場所を作ってくれればよい。あたりまえと思っていることのひとつひとつが、実は得難いものなのだと、考える時間を作ってくれればよい。

「難しいですね。できるかしら」

 できるとも。小さなところから始めればよい。種はもう、老人がたくさん蒔いてくれている。芽は、必ず出る。

「わかりました。ありがとうございます」

 娘さんは、何か修法のようなことをすれば安心しただろうが、あえて何もせずに帰ることにした。
 おそらく家の変調は、そう長くは続くまい。それは、家の人々が老人のように、神仏に向かうようになるだろうとの予感のゆえではなかった。
 老人の代わりになど、誰もなれはしない。ただ、老人の感謝に呼応していた三十三の神仏が、老人の不在に慣れて、この家を離れるだろうとの予感があった。

 だからといって悪い事が起こるでは無い。

 神仏に強く、優しく護られて、光を宿していた家が、光をなくして、ただの平凡な家になるだけのことだ。

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