しきから聞いた話 173 跡目の仔
「跡目の仔」
神社の前を通りかかったとき、中から言い争うような声がした。
「早くから修行を始めないと、この子のためにならない」
「そんなこと、させるもんかい」
「何を、罰当たりな」
「おまえのバチなんざ怖くないわ」
きいきいとした声は、どうやら常のものではなく思われたので、のぞいてみることにした。
「この有難いお話しを」
「なにが有難いもんか」
「あ、」
「きゃっ」
小さな、茶色いものが、さっと目の前を横切って、藪のなかに隠れた。
古びてこぢんまりとした拝殿の、これまた古びた賽銭箱の前には、半透明の狐と、その足元に、こちらは生きたものらしい、小さなイタチが座っていた。
「おや、今日はどちらへ」
半透明の狐は、顔見知りだった。
この古い神社の、使いの狐だ。
答えずにただ、狐の足元のイタチを見つめていると、狐はふふっと小さく笑った。
「この子はね、なかなか筋が良いんですよ。わたくしの後継者にしてやろうと思っているんです」
目線を外して、先ほど茶色いものが隠れた藪の方を見ると、狐は少し不機嫌そうに、ふんと鼻を鳴らした。
「望んだとて得られるものではない、こんなに良い話をわかろうともしない愚か者が。この子が胸を痛めぬようにと、下手に出ていればいい気になりおって」
狐が、足元の小さなイタチに鼻を寄せ、慈しむようにすると、藪がごそりと動いた。
「その汚い鼻っ面を近付けるな。さあ、こっちにおいで。そんな奴は相手にしないで、さ、帰ろう」
藪から頭だけを出したイタチが、いかにも怒っているんだというように、ふうっと息を吐く。
「まったく、話のわからない奴だねぇ」
「わからないのは、どっちだ。イタチがキツネの真似なんざできるか」
「真似ではない、修行をして、尊いお使いとして働かせていただくのだ」
「いかがわしい勧誘にしか思えないね、ふんっ」
これでは埒が明かない。
狐の足元の小さなイタチは、ずいぶんと幼いようで、いったい何が起きているのか、わからないらしい。ただ、ぱちくりとまばたきを繰り返している。
さて、それでは仕方ないので仲立ちに入ろうか、と思ったところで、拝殿の方からさらさらと風が吹いてきた。
「ああ、」
狐が感嘆の声を上げ、藪のイタチは少し、身構えた。
淡い光。明るく、暖かい。
姿などわざわざ見せずとも、これが尊い現れであることは容易に知れた。
どうなさるおつもりか、と思う間もなく、声なき声が伝わって来る。
「狐よ、急くでない。縁あらば、なるように成る」
それだけだった。
淡い光はゆっくりと、滲むように消えていった。
狐は、少し不満そうだ。しかし、それ以上を言うことはしなかった。
藪から出てきたイタチに、小さなイタチがちょこちょこと近付いていく。
「さ、帰ろうか」
「きれいねぇ、ふわふわねぇ、また来るね、またね」
きらきらと目を輝かせる小さなイタチの様子に、大きなイタチと狐が、はっとしたように見つめ合い、そして、ふふふっと笑いをもらした。
「まぁ、わたくしの手配も準備も、無駄ではないということよ」
「まぁ、その、なんだね。縁なら、しょうがないね」
大人の思惑通りになど、子は歩みはしない。
なるようになるだろう。
縁があるなら、このイタチはイタチのままで、進むべきところへ至るのだろう。
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