しきから聞いた話 145 烏骨鶏
「烏骨鶏」
烏骨鶏のヒナが孵ったので、見に来ないかと誘われた。
どうにも、妙な符丁のようなものが感じられて、正直なところ烏骨鶏そのものには、あまり興味が無かったのだが、出掛けて行くことにした。
誘ってくれたのは、古くから行き来のある家の長男だ。曾祖父の代から住む土地で、今は事実上の当主になっている。とはいえ、彼はまだ二十代の後半で、父も、祖父も、元気にしている。
面白い一家で、代々の当主は仕事熱心で、そこそこの社会的地位にあるのだが、それぞれが仕事よりも趣味に忙しい。当代の彼は、ボランティア活動で日本中を飛び回り、その父は海外の名峰にも出かけて行く登山愛好家、祖父は日本各地の霊山を巡ってきた修験者だった。
もともとこの一家との付き合いは、この、祖父の山行がきっかけだった。
今はもう、厳しい入峯修行はできないが、それでも、寺院の行事などの手伝いに行っている。ご当代に誘われて訪ねて行くというのも、実質、祖父への挨拶に行くようなものだった。
「久しぶりですね。早速ですけれど、鳥小屋、すぐ裏なんですよ」
迎えてくれたのはご当代で、玄関を出てくると、挨拶もそこそこに、広い母屋を横切って、裏庭の方へと進んで行った。
「烏骨鶏を飼い始めたのは、ご存知でしたっけ。昨年の春におじいさんの友達がつがいをくれてね、すぐに卵を産んだんですけど、ヘビだかキツネだかに取られちゃって、その後も、卵は産むけどうまく孵らなくて、今回がようやく初めてで」
彼は、こんなによく喋る人だったか。
しかも、来客をまず座敷に上げることもせず、いきなり用件に急かすような。
「さあ、どうぞ。奥に、四羽いるでしょう」
人が歩いて入って行ける大きな鳥小屋の戸を開けて、にこにこと笑いながら、入れと身振りする。なんだか妙だなと思いながらも入って行くと、確かにヒナがいた。
親鳥と同じ、黒いくちばし、黒い顔。すぐ近くで忙しく動き回る親鳥は真っ白だが、ヒナは薄黄色。そして親も子も、ふわふわと柔らかそうな綿毛におおわれている。
烏骨鶏は、よく人に懐くらしい。
この親子はどうだろうか。少なくとも、こうして鳥小屋の中に入っても、騒ぎ立てたりはしない。人慣れはしているようだ。
「よかったら、一羽でも二羽でも」
冗談なのか本気なのかわからない。少なくとも、こちらから「欲しい」と言った覚えはないのだが。
返事をせずにヒナを見ていると、戸が開いて入ってきた人がいた。
「やあ、呼びつけて悪かったね、どう、可愛いだろ」
祖父だった。
いつも通りの落ち着いた所作。いつも通りの、柔和な表情。声。
しかし、目の奥に、符丁があった。
「このヒナが、ね」
かがんで一羽を取り上げ、こちらに見せる。
なんと。これは。
烏天狗ではないか。
しかも、ヒナ。
ヒナの烏天狗など、初めて見た。
冷静になってよくよく見ると、そこに烏骨鶏の姿は確かにあった。だが、烏天狗が重なるようにして見える。憑代のようなものか。
「やっぱり、そう見えるか」
祖父がそれを、そっと足元に下ろしてやると、それは、たたっとご当代の足元に駆け寄って、すりすりと身を寄せた。
「こりゃあ、おまえの守りだな。おまえと一緒に成長するんだろ」
祖父が、ヒナを眺めながら続ける。
「山へ行け、ということかな」
どうやら、そういうことらしい。
祖父が、ふふっと笑った。
「うちの人間はやっぱり、御山へ行かなきゃいかんということだな。お前のボランティアも、山岳救助の手伝いだったときは、なるほどと思ったんだがなぁ」
ご当代はこのところ、町での活動が続いているようだ。
来週、信州の霊山に行く用事があるよ、と言うと、祖父はさらに、あははと笑った。
「そういうことだ。仕事は休みを取って、行って来い」
「なんだか、よくわからないなぁ」
「行けば、わかるよ」
そうだ。おそらく、そういうことなのだろう。
しかし、なぜ烏骨鶏なのだろう。
「さあねえ、神仏のおはからいは、うまくできているからねえ」
祖父の笑みは、少し、意味ありげに見えた。
この烏骨鶏を山へ連れて行ったら、姿が変わるのだろうか。
だったら、それはちょっと、見てみたいなと思った。