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シューマンの愛と音楽 

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2024年6月の記事一覧

クララに対する深い嘆き《幻想曲ハ長調》作品17

クララに対する深い嘆き《幻想曲ハ長調》作品17

前回の続きです。

ライプチヒでの作曲家・評論家としての地位を投げ打ってまで、他の土地で活動を始めるという無謀ともいえる冒険を実行に移すとは思っていなかったヴィークの予想を裏切り、1838年の10月になると、シューマンはクララより一足先にウィーンへ旅立ちました。驚いたヴィークは、クララに『どんなことがあろうとシューマンとは結婚させない。』と言い渡しました。

ウィーンで新たに音楽評論雑誌を発行しよ

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クララの言葉から想像が広がった『子供の情景』とクララへの想いが込められた『クライスレリアーナ』

クララの言葉から想像が広がった『子供の情景』とクララへの想いが込められた『クライスレリアーナ』

前回の続きです。

その後、当初の計画とは違って、シューマンは直接ヴィークあてに、クララとの結婚を申し込む手紙を送りましたが、シューマンが思っていた反応ではなく、無視された上に、話し合いの機会をもったものの拒絶されてしまいました。そればかりか、またもやクララはヴィークによって7ヶ月にも及ぶ長い演奏旅行へと連れ出されることになったのです。

再び離れ離れとなってしまった二人ですが、頻繁に手紙が交わさ

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結婚への想いが込められた《ダヴィッド同盟舞曲集》作品6

結婚への想いが込められた《ダヴィッド同盟舞曲集》作品6

前回の続きです。

クララに捧げた《ピアノ・ソナタ第1番》をクララの演奏によってその「叫びへのこだま」を聞いたシューマンは、その夜すぐに手紙を書きました。

封筒の表にそう書かれた手紙が花束とともにクララに届けられました。

翌日クララの書いた返事は

こうして二人はお互いに結婚を誓い合ったのでした。
そしてここから1839年末までに二人が交わした手紙は275通にも及びます。

この時のクララから

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