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あ〜イタリア語できない
クリスマスくらいから私のイタリア語も対人力も全然成長してなくない?と思い始め、すごく気持ちがブルー。最近はなんだか悶々としていて、漠然とした不安があって、1ヶ月くらい日記もつけられていない。辛い時こそ日記を書かなきゃなのはわかってるんだけど無理。
学校の人たちはみんな優しくて大好きなんだけど、全然上手く喋れないし全然クラスに馴染めてないし、一日誰とも喋らないみたいな日も普通にあって、なんのために留学来てるんだろう。自分から話しかけなきゃなのは分かってるし最前は尽くしてるつもりだけど、みんなが何話してるかもまだ全然聞き取れてないから会話に入れない。てかもっとイタリア語勉強しなきゃダメだよな普通に。なんで毎日家でゴロゴロしてるんだろう。。。
とりあえず私の対人能力は今に始まった話ではないので、もっと沢山イタリア語勉強しよう。今の悩みはイタリア語が喋れたら全て解決される はず なので。
数ヶ月前の自分と比べて、ああこんなにも成長した、何も成長してない、と一喜一憂しているこの一年。よく考えたら今までの人生では一度も成長なんて振り返ってこなかった。少なくともこんなに自分の能力の向上に気を配っていなかったなあ。そう考えると私はよくやってるよ。
私は日本を良くするために、日本のために働きたいのでまあそのためには学歴が必要、うーん、あって困らないわけで、ちゃんと受験勉強するために高校2年生をもう一度やることにした。留年ですね。言葉もわからない状態でいきなりイタリアへ来て現地校へ通っているので、日本の一つ下の学年に下がるなんて正直屁でもない、と思えるのはこの留学の成果だろう。
今は日本の勉強はほぼしてなくて、でも時間はあるからひたすらに色々考えてる。これは俗に言う自分と向き合ってるということなんだろうか。この留学が終わったら高2にもう一度入るので、なんだか今は時が止まっているみたいな。私だけ世界の外側に一旦避難して、これからの人生の作戦を立ててるような。
私はいい意味でも悪い意味でもイタリアに来た自分がいわゆる海外かぶれになってるとは思えなくて、むしろイタリアでも日本で育ってきた習慣が抜けきれず、イタリアに染まりきれていないと思う。イタリアに沢山触れた上でそうある自分はきっと日本のことが好きなんだろうし、そんな自分を好きになってもいい気がする。だって違う国でも私はこうなんだから、それって正真正銘のぶれない私じゃないか。どんなに短所に思えたって、私はこういう性格なんだって一旦受け入れてる。
というか、短所なんて言葉、ある社会において多数から短所と呼ばれているだけの性質なので、実際問題、人に多大なる迷惑をかけていないのなら短所だろうがなんだろうが勝手にさせてくれよ。日本での短所がイタリアでの長所になり得ることなんて死ぬほどあるんだから、ある一つの性質を取り上げて短所だ短所だ騒ぐのをやめてくれないか。自分はなんとも思ってなくとも世間一般に言われてると気にしちゃうでしょう。
人から好かれなくたって自分が好きでいられる自分なら十分。いや私は八乙女楽かて。でも本当に最近そう思う。ありがとうな八乙女楽。
明日はエジプト人の女の子が誕生日会に誘ってくれたので、それが楽しみ。あと3月には、一週間だけイタリア内の別の地域にホームステイするみたいなプログラムがあって初めて南イタリアへ行けるのでそれもわくわく。