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悔しいなあ、は誇らしい
悔しいなあ、と思うことがよくある。
自分以外の人達が英語で楽しく会話しているのに、全く会話に入れない。2人きりになっても自分から話しかける勇気がない。せっかく話しかけられたのに、上手く会話を続けられない。上手く言葉が出てこない。何を話せばいいのか分からない。留学中、私が悔しいのはそんなとき。これは毎日思ってる。
留学中じゃなくたって、日本でだって、悔しいなあ、と思うことは山ほどあった。
でも最近、私は、悔しいなあと思う自分を少し誇らしく感じる。というのも、イタリアへ来てから悔しいなあを感じない瞬間を沢山経験したから。
イタリア語が全くと言っていいほど喋れない状態でイタリアに来て早1ヶ月半。少しずつ聞き取れるようになってきてはいる(と信じている)ものの、やっぱりまだイタリア人の言ってることを理解するのは難しい。学校で友達がイタリア語で話していても、何を喋ってるのかさっぱり分からない。なので、クラスメイトが談笑しているとき私はただその輪にさりげなく入ってますよみたいな顔して近くに座ってニコニコしてることが多い。
最初の頃はただ会話を眺めていることしか出来ない自分が恥ずかしかったし悔しかったけど、今は悔しくは無くて、そんな自分を一旦受け入れてしまった方が楽だなって、心のどこかで思ってる。だから悔しくないし、これは言葉が喋れないから仕方ないよねって開き直ってる。
これがいい事なのか悪いことなのか私には分からない。かといって他人に判断されたいわけでもないけれど。
まだ悔しさを覚えていた私は、いい意味でも悪い意味でも、自分に自信があった。きっと自分のことを過信しすぎていたんだと思う。イタリア語の難しさを分かっていなかったし言語を習得するとはどういうことかが分かっていなかった。正直ちょっと頑張れば日常会話くらいできだろうとか思ってた。だからそれが出来ない自分が悔しくて、焦って、でも出来なくて。
そしてだんだん分かってきたのは、あ、これって思ってたよりもずっと長い道のりだ、ってこと。今どれだけ小手先の努力をしたって、急に聞き取れるようにはならないし、急に会話に入れるわけでも無さそうだってこと。
これは諦めとかじゃなくて、現状把握。私がダメなんじゃなくて、言語が違う国へ行くってこういうことなのか、こうなるのが普通か、と思った途端に心が軽くなった。悔しさは消えた。
悔しさは、自分の中に少なからず可能性を見出しているから生まれる感情だと思う。
イタリア語よりも英語の方が今はまだ喋れるから、自分は会話出来る!と思っていたはずの英語の会話に入れないと凄く悔しいし落ち込む。
うわあー悔しい!と思ったときは、それと同時に、でも悔しいってことはもうちょっと頑張れば乗り越えられるってことだな、ともう1人の私が後方腕組み我が物顔で励ましてくれる。
もっとイタリア語を勉強して、語彙を増やして、イタリア語の会話をしながら「悔しい」と思える時がきたらそれは私のイタリア語レベルがひとつ上がった瞬間だと思うので、まずはそこを目指して。やっぱりやらなくちゃいけないのは、勉強。。。
留学してるといくらでも湧いてくるネガティブな感情とも向き合って、なんとか生きてます。
こうやって色々考えてると、今まで自分の性格とか行動について考えようとも思わなかったし向き合ってなかったんだなって今になって思う。〇〇な自分が嫌だとか言いながら、何が私をそうさせるのか、何で嫌なのかとか考えてなかったなあって。
今は、それを毎日のように考えてるから凄い贅沢で苦しい。
こうやって日々自分のことについてこーんなにぐるぐる考えて、生きてるって感じする。