168 「関の山」発祥の地、三重・関宿へ
「関の山」という言葉を聞いたことがあると思います。
「あのチームはせいぜい準決勝くらいが関の山だ」。
一生懸命頑張ってもせいぜいこのぐらいが限界だ、と意味に使われます。
さて、じゃあなんでそれが「関の山」なんでしょうか。
その語源となる場所があります。
それがこの関宿(せきじゅく)。三重県亀山市にある旧東海道の宿場町です。
この関宿の祭りの際に出される山車(だし)(山車のことを「山」ともいいます)は、道幅いっぱいの大きさの大変立派なものでした。これ以上のものは作れない、いっぱいいっぱいであるという意味で「関の山」という言葉が生まれ、全国に広まっていきました。
ではその山車は、一体どのようなものだったのでしょうか。
それがわかるのが「関の山会館」。夏祭りの際にしか見ることができない山車がここで展示され見ることができます。
こちらは中町四番町の山車。漆塗りの山車で台車部分や構造部分は白木造り、高欄や彫刻には金箔が貼られているという豪華さです。まさにこれ以上立派なものない「関の山」です。
最も大きいとされる「木崎の山車」。囃子手が上に乗りながら関の宿場の中を曳かれていきます。
関の山の特色は、台車の上の部分が回転すること。これを「舞台回し」といって辻々で回転する姿は関の夏祭りの風物詩といわれてきました。
江戸時代の最盛期には16基あった関の山ですが、時代を追うにつれて老朽化したり、資金難で他の村に売却されていったりした結果、現在は4基がのこるのみとなってしまいました。
この街の祭りの灯を失わせることのないよう、現在ではしっかり山車庫に保管され、関の町の人々の力によって伝統の維持に取り組まれています。
宿場町も歩いてみることにしましょう。江戸から数えて47番目の宿場町。東の追分から西の追分の1.8kmの間に宿場町が形成されており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。東野追分からは伊勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐することから、この宿は街道の交差点として賑わいを見せていました。隣の亀山宿は城の近くにあるためこれを避けここに宿をとる人が多かったとも言います。
石垣屋さんは築130年の古民家を活用したゲストハウス。こういった場所で宿泊すると東海道を往来してきた旅人の気持ちもわかろうというものです。
現役の関郵便局。重要伝統的建造物群保存地区の中にあることもあって江戸情緒あふれる漆喰の建物です。黒いポストは明治期のポスト(書状集箱)を復元したもの。郵便制度が始まった当初は宿場町にポストが置かれていました。もともと道があったところにいち早くポストができたわけですね。
郵便局の前にあるのが高札場を復元したもの。江戸時代に庶民に法令や決まり事を伝えるために宿場や橋場などに掲げられていました。明治期に入り通信技術が進歩するにしたがって消えていきましたが当時は重要な伝達手段でした。
伝統的な虫籠窓の家から丸窓のモダンな雰囲気のある古民家も。200軒以上立ち並ぶ歴史ある建物の違いを楽しみながら町並みを歩くのはとても楽しいものです。
カフェやお土産物店などもありますが、観光地化しすぎて垢抜けた感じはなく、静かに街歩きを楽しめるのも関宿の良さだと思います。
さて、旅の終わりに温泉!小萬の湯は日帰り温泉っぽく見えますが、足湯施設です。
黄金色の湯で街歩きで疲れた脚を癒しましょう。地元の方もここで座って井戸端会議をされている憩いの場です。
なお、関は津方面に向かう伊勢道と伊賀方面に向かう名阪国道の分岐点で、今も交通の要衝。そのため「関ドライブイン」という大規模な施設があります。そこで見つけたのが
松阪牛の自動販売機でした。肉の自販機って始めて見ます。
なんでも自販機で売る日本人、恐るべし。
三重県にお越しの際には是非お立ち寄りください!