吉川トリコは令和のハヤシマリコなのか
ネタバレなしで書いてます。
男性作家の描く女性
好きな男性作家が男性を描いている分には、その登場人物に感情移入できるのに、作品に女性が出てきた途端「あ、違う。女性はそんなこと思わない。」という突き放されたような気持ちによくなったものだ。
そんな中、当時女子高校生だった私が出逢ったのが林真理子先生の初の多分に自伝的要素を孕んだ長編小説「星に願いを」だった。
「この人は、私をどこかからこっそり見ていて、この作品を書いたんじゃないの?」
そう、思って周りを見渡してしまうぐらい私の心にピタッとくる小説だった。エッセイ、小説を貪るように読み、今まで描かれていた女性像の化けの皮をひっぱがした作品に爽快感を覚えたものだ。
その後、30年以上林先生のファンで数年前には、週刊文春主催の「林真理子さんバスツアー」に参加して、先生と直接お話しする、サインを頂ける、写真を一緒に撮ってもらえるという僥倖にも恵まれた。
林真理子は保守?
林真理子先生は、今「保守的な作家」と見做されていると思うが、先生が世の中に出てきた時の過激さーフジテレビのキャンペーンガールになって、レオタードで踊る、雑誌でヌードになるーを考えると、あれほど、アバンギャルドな人でも、直木賞の選考委員となったり、令和の元号を決める時の懇談会のメンバーになったりすれば「保守的な作家」と世間が見做すのだなあと感慨深いものがある。
そういいながらも、私も昔はピタッと気持ちに嵌っていた林先生のエッセイや言動に、自分とのずれのようなものを感じる様になっていた。
象徴的なのが、昨年、当時首相だった安倍普三氏が星野源さんの「うちで踊ろう」のコラボした動画を投稿したことに対しての反応だった。
私はこれにイヤーな気持ちになったのだ。
星野さんがあえて「うち」と言っているのは、ただ「家」という意味でなく「内」-内面ーという意味で言っているのに、安倍氏の動画は単純に「家」にいましょう、と捉えたとしか思えないものだった。背景やその奥にある星野さんの思いに頓着せずに、ただ人気のある歌手だから乗っかっておこうという風に私にはとれたのだ。
けれど、林先生は
「なにがそんなに悪いのかわからない」、「りっぱなおうちだなと思った」と週刊誌の連載に書いてみえた。
自分が変わってしまったせいかもしれないが、若い頃、あれだけ私の気持ちにぴたっとしていた林先生と考え方が離れてしまったのだなと寂しい気持ちを持ったものだ。
けれど、最新作の「8050」を読めば、小説は素晴らしいし、若い頃からずっと好きなので、お姉さまというか、身内のような気持ちになっているのでこれからも読み続けるとは思うけれど。
吉川トリコさんの「夢で逢えたら」
そんな時に読んだのが、吉川トリコ先生の「夢で逢えたら」。
実は、吉川先生にも、数年前とある読書会でお逢いしたことがあって、作品を読んでみたいなと思っていたところに、おもしろそうな本が出版されたので手にとってみたのだ。
「この方、令和のハヤシマリコかも?」
ご本人がそれを喜ばれるか否かはわからないけれど、そう思うくらい、久しぶりに気持ちにぴたっとくる、けれど、楽しい作品に出逢えた。
女芸人真亜子と女子アナ佑里香の一見正反対の、それでいて芯の純粋さや不器用さが似通っている二人の主人公の物語なのだが、二人ともに感情移入ができた。
女性の生き難さ、なんて言うとありきたりだけど、「今」の女性のやり難さ、モヤモヤ感を悲壮感を出さずに描ききっている。
男性社会で器用に生きられない主人公二人なのだが、この作品の凄い所は、男性社会で強かに生きているある登場人物が最後に鍵を握っているところだ。
今の男性優位とされる社会でも、それが解消された社会になっても、結局は世渡り上手な人の勝ちということかな?
寂しいけど。