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山本周五郎『五瓣の椿』 魂を傷つけること

 山本周五郎の作品と世の中について書きたいと思っていたが、もう少し自分の中で熟成させてからと考えていた。

 今、書く気になったのは『五瓣の椿』のことを考えていた時に、お笑い芸人の岡村隆史さんのオールナイトニッポンでの発言を目にしたからだ。

 発言の内容としては令和2年4月23日放送のオールナイトニッポンで「コロナが収束したら、もう絶対面白い事あるんです。」「収束したら、なかなかの可愛い人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります。」と発言したというものだ。

 深夜放送と言うのは、元々下世話なもので、これで岡村さんが批判されるのは、少しかわいそうな気もする。NHKの『チコちゃんに叱られる』の成功や大河ドラマ『麒麟が来る』への出演で、なんというのか、芸人さんとしては、毒っ気が抜けてしまったことに対する彼なりのバランス感覚だったかもしれないし。

 昔、私がオールナイトニッポンを聴いていた時も、芸人さんはその程度のことは当たり前のように言っていたし、演出家の鴻上尚史さんですら、当時フィギュアスケートの女子シングルでオリンピックに出場する伊藤みどりさんのことを、ブスブス言っていて、「けっ、早稲田出て、演劇の才能があるって言われててもその程度の人間かよ」と思った覚えがある。

 今回の岡村さんの発言を「女性蔑視」と捉えると、「性産業に従事している女性を貶めている」という人が必ず出てくる。でも、そう言う人は、自分の姉妹や娘が性産業に従事しても良いと考えている訳ではないと思う。

 「嫌々従事せざるおえないのがいけない」という人もいるけれど、「嫌々仕事をしている」人は沢山いるわけで、その中で性産業がなぜ、特別なのかと言うと

 「性的なことは、魂を傷つける場合があるということ」だと思う。

 もちろん、プロ意識をもって従事している人、魂を傷つけずに済む人もいると思う。だがアダルトビデオに出演して成功をした女優さんが心を病んで自殺未遂を図ったり、孤独死した人もいるのは、覚えている人も多いと思う。

 遊びの性行為があってもいいとは思う。誰にでもできるごく簡単なことだし。

 ただ、それでひどく魂を傷つけられることがある。そのことが描かれているのが『五瓣の椿』だ。

 この作品は重いテーマでありながらミステリータッチなため、何度も映像化されている。

 浮気者の母と、優しく真面目な父をもつ、清らかで美しい主人公おしの。彼女を演じた女優さんは

1964年の映画では、岩下志麻さん

ドラマでは1969年に藤純子(現 富司純子)さん

1981年に大原麗子さん

1987年に古手川祐子さん

2001年に国仲涼子さん

が演じている。藤純子さんと古手川祐子さんのは残念ながら未見だが、私が観たなかでは大原麗子さんが出色だった。決して清純な感じの人ではないのだけれど、さすが女優さん、大原さんの細く美しい首が儚げで、ちゃんと清らかな娘になっていた。

 もしも、まだ作品を読んでいない、映画やドラマを観ていなくて、今後読もう、観ようという方は内容にふれてしまうので、これから先は読まないでほしい。

 おしのの父親は、勤め先の商家に婿入りし働きづめに働いて肺を病んで死んでしまう。母親は浮気と遊蕩を繰り返し、夫の看病をすることもなかった。そして、夫が死んだあと、娘のおしのに言ったのが

「なにもこの人のためにあんたが、そんなに悲しがることはないのよ」

「いまだから本当のことを云うけれどね、おしのちゃん、この人はあんたの父親じゃあなかったのよ」

 自分を大事に育ててくれた父親。妻の浮気と遊蕩に苦しんでいた筈の父親を最も苦しめていたのは自分の存在だったのではないか。

 おしのは、その後、母親と関係のあった男たちのうち、どうしても許せない5人を選んで復讐していく。

 そして、最後の復讐の相手は自分の実の父親で、実の父親は、彼女の誘惑にやすやすと乗って、彼女を抱こうとする。

 遊びで性行為をつづけていると、いつか自分の娘と関係を持つこともあるかもしれない。

 山本周五郎は性的なことが魂に傷をつけることを分かりやすい形で描いたのだと思う。

 性行為を伴う仕事をすること、それを買うこと。

 それは男女問わず人を物とみなすことになる。物とみなす、みなされるということ以上に、理屈や理由は上手くいえないのだけれど、魂を傷つけてしまうことがあることを、知っていてほしい。

 魂に傷がついてしまうと、治るのが難しいので。

 

 

 


 

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