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コンテンポラリーアート、現代写真の研究者たちによる若手作家の作品、展覧会を紹介するレビューマガジンです。※執筆者随時募集 執筆者/ ・斉藤勉 京都芸術大学 大学院修士課程卒(M…
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#武蔵野美術大学

武蔵野美術大学の水野遥介の展示

武蔵野美術大学の卒展で見た水野遥介さんは、5点の油画の作品を展示していた。そして、ドローイングはファイリングされて閲覧することが可能だった。水野さんの作品を見たのは二回目で、Room412の展示を見ていた。 《boundary》は、2,590 × 1,940 mmという大きさの作品であり、描かれている人物は、ほとんどの人物よりも大きい。そこに実在するかのような存在感がある。背景はストロークによって床と壁を認識することができるが、いや足があるから床であると認識するのかもしれな

《布橋灌頂会》曽我祉琉

武蔵野美術大学の卒業・修了制作展、思えば卒展巡りを始めたのは2023年のムサビの卒展からだった。今回で3回目の訪問になる。広大なキャンパスと階段移動の多い展示会場にも慣れたし、見たい展示がどのあたりにあるかの勘所も分かってきた。大抵は2号館から周り、美術館をゴールにしている。そんな美術館で曽我さんの《布橋灌頂会》を見た。 美術館の高い天井、5mの高さがあるが、ほぼその壁面を覆うかのような見上げる作品である。油性木版画であり、沈み込むような黒、抜ける白、そして天の赤が鮮やかに

武蔵野美術大学 修了制作展 おひの にほの展示

武蔵美の卒業・修了展を見たのは2日前、最初に回ったのは2号館、その早い段階で、おひの にほさんの展示を見た。圧倒的な作品点数、オイルペインティングと大きな作品を展示する小部屋からなる。 作品点数からも感じるが、小部屋の中の大作品、圧倒的な没入感を放っていた。 巨大な顔に見つめられるからだろうか。 どうやら、この作品のモチーフは母と父のよう。母の顔色が青いのはゾンビだからだろうか。そして、右側の父は透けて見える。中央の作品から幽霊だろうかと想像する。そして、これらの作品に

《不思議な出来事》西山沙希

武蔵野美術大学の修了制作展、大学院の版画コース西山沙希さんの木版画の作品は、サイズ感を自由自在にとった日常風景を切り取った作品だった。 木版画の柔らかな輪郭と色あいが、サイズ感を変えた光景の違和感をほのぼのとした雰囲気に変える。 サイズが様々な作品を多数展示していることも、サイズ感の凸凹を印象付けているだろう。 キャプションはひとつのみだったので、これらの作品を総称してか、シリーズ名なのかは判然としないが《不思議な出来事》というのは、それぞれのモチーフの誤用なのかもしれ

武蔵野美術大学 修了制作展 まるやまさとわの展示

武蔵野美術大学の修了制作展、美術館で展示されていたまるやまさとわさんの展示は、壁面と大型の作品との二点が展示されていた。まるやまさんは東京造形大学から武蔵野美術大学の大学院に進学した。セラミックスで作品を制作しているが、最近の展覧会では日用品を使ったアッサンブラージュを作っている。修了展では大作が展示されていた。 巨大なスポンジに泡立て器とセラミックスが挟み込まれている。工業用のスポンジだろうか。見た感じ挟んでいるだけであり、しっかりとくわえこんでいる様子から剛性のあるスポ

武蔵野美術大学 卒業制作展 永原直輝の展示

永原直輝さんの展示は、壁面と展示台の上にスケッチブックが並べられていた。大きな作品から小さな作品に向かい、小さな作品はグリッド状に配置されている。 これは有機体の特徴を捉えようとするもの、人工生命への探求に近いだろうか。 永原さんの展示は、彼の研究「家畜化症候群における自己家畜化とその影響、及び芸術における創造性と精神疾患に関する考察と制作」と関連するものである。 絵画から感じる生命らしきもの。神秘性のようにも取れるが、それは現代人が人体の内部の構造や映像を写真やコンピ

《石柱》李雨濃

美術館で見た李雨濃さんの作品、美術館には大型の作品が多く展示されているなかで、落ち着いたトーンの色使いにも限らず存在感があった。 画面のつやが、湿度を感じさせ、主要なモチーフである構築物は朽ちてしまったビルであろうか。背景にあるのは山であるとすると、高層ビルではないだろうか。思弁的な構造物は、時間を連想させる。 タイトルの石柱を確認した後は、ひたすら画面のバランスに魅入っていた。照明による反射が無い状態で見たいと思った。

《あなたはたえず、来ては去る。》 神田梓

油絵学科 神田梓さんの卒業制作、芸祭でも大きな作品を展示していたが、卒業制作は更に大きな作品だった。 アーチ状のキャンバスを三つ、中央のキャンバスは長辺が高く、左右のキャンバスは、やや低い。とはいっても大型であることには変わりない。 左側に鎧の下に着るような装束、あるいは人形の中身の部分だろうか。服で隠れるところは紐を束ねており、手足の先と胸元が肌のようになっている。ただ、首がない。向かって右側の画面には白い透けたワンピースが着ている人があるように在る。スカートの下側から透け

《情報は常に不足している、だからマニ車を回そう》何 梓羽 /HE ZIYU

昨年から全国の卒業・修了制作展を見て回っている。今年も卒制シーズンが始まった。思えば一年前に、初めて武蔵野美術大学の鷹の台キャンパスにやってきた。あれから一年、長いような短いような。 2024年の武蔵野美術大学の卒展は入場制限なし、予約も不要だった。 何 梓羽さんの作品《情報は常に不足している、だからマニ車を回そう》を見ていると声をかけられた。声をかけられたタイミングでは作品の名前は知らなかった。 大きな立体の作品、高さは2mを越えているだろう。回転遊具のような印象を持