日記|20240316〜0323
3月16日
実家で餃子を振る舞うつもりが、いきなりモチベーション低下し、肉と皮の生地を持ち帰って帰宅。その後、餃子にする元気もなく、ハンバーグにして食す。何かに全身のやる気持っていかれたな。
お風呂でYouTube視聴。堀江貴文氏と木村拓哉氏の声って似てる気がする。
次回は美味しい餃子作れるといいな。
3月17日
友人と能鑑賞へ。
約4時間の長丁場。能という芸能を、あえて静と動の二項対立で表すならば、圧倒的「静」。世の中の「静」を、凝縮して詰めたような時間だった。室町時代の方々は、どのような心境で鑑賞していたのだろうか。
現代の私は、「お腹が減った」「お尻が痛い」「眠い」の煩悩の三毒に思考を蝕まれており、能を見に行ったのか、己の煩悩と対峙しに行ったのか定かではないものの、非常に高度な芸能の世界を楽しむことができた。
次回は2時間とかでいいかもしれない。
能にエネルギーを奪われ、これはもう強制的にでも異国のエネルギーを流し込まないと、高度な精神世界へ飲み込まれてしまう!ということで、夕ご飯はタイ料理店に。
圧倒的「静」から、圧倒的「動」への移動。昨日ばかりは、タイの食事におふくろの味と似た安心感を覚えた日はないだろう。
コップンカー!
3月18日
眠たいときに眠れて、食べたいときに食べられて、起きたいときに起きられる。
こういった普通の積み重ねが、日々の幸せに繋がっていたりする。
3月19日
昨年の秋に亡くなった、大好きなおばあちゃんの夢を見た。その夢で目が覚めて、あまりにも印象的だったので、そのまま起きてかくして筆を走らせている。
安置室で遺体となって眠るおばあちゃん。なぜだかパックンが同室しており、相変わらずのカタコトの日本語で、私と母に哀悼の言葉を送ってくれる。
おばあちゃんに「大好きだよ、ありがとう」と繰り返し言葉をかけるていると、亡くなったであろうはずのおばあちゃんが徐々に目を開き、無言でうなづく。
思わず「ええ!おばあちゃん動いてる」と言ったら、「あなたには動いてるように見えるんですネ」と穏やかな口調でパックンに諭される。
「どう見ても生きてるんですが」と思いながら、「ねえ、お母さん!」と興奮した声をかけたところで、目を覚ます。
なんか、感動と恐怖が入り混じる夢だったな。亡くなった方は夢に出てこないと来たことがあるが、あれは迷信か。
それにしても、もっとおばあちゃんと話したかったな。目が覚めて、しばらくおばあちゃんへの気持ちが取り留めもなく心に溢れ出した午前3時。
3月20日
ディズニーシーのアラビアンコーストエリアにある、シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジというアトラクションが好きなんだけど、途中に漂ってくる妙にリアルなバナナの香りのパヒュームが欲しい。バナナ味のお菓子的な人工的な香りではなく、本物のバナナを感じさせる妙技はさすがディズニーといえよう。
3月21日〜22日
知人と、ジェームズタレルの作品「光の館」へ。あまりの豪雪で、「雪の館」かと思った。やはり、時に異空間へいったり、普段のコンフォートゾーンから抜け出す行動っていいな。
もっとこういうイベント増やしていきたい。
3月23日
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの」ということに気がつくまで、たくさんの年月と犠牲を要した気がする。足るを知るを心がけて生活してゆきたい。求めすぎなければ人生は豊かであるって、桜井さん歌ってた気がする。
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