想いを踏み躙られ慣れてみよう
どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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SNSに向いてる向いてない問題
僕の住んでるSNSには連日罵詈雑言が飛び交っていて、ニヤニヤしながら見てる実質ゴミクズな僕。時に「傷つきやすい人はSNSに向いていない」という論が現れて、僕もそう思う派なのですが、それに対して「向いてないのは平気で罵詈雑言、誹謗中傷を投げる側じゃないか!なんで被害者側が向いてない認定されなきゃいけないんだ!」というメチャクチャオシャレなカウンターを展開させる人がいます。
ぐぅの音もでないくらいお見事なカウンターで、僕はまたまた自分自身の低い人間性にうなだれるわけですけれども、、
でもね、、やっぱり僕は誹謗中傷、罵詈雑言を急ピッチでなくすのは無理がある!と思うんですね。
無理!とは言わないです。
でもかなり乱暴な法規制が入るか、100年ぐらい時間をかけて人間が成長しないと厳しいだろうなぁ、、というのが僕の肌感。
バカ!ゴミクズ!とかを使えなくするという事もシステム的には可能でしょう。
ライブ配信アプリのコメント欄なんかは規制されてたりしたと思います。
でも執拗な誹謗中傷ってそういう直接的な言葉だけじゃないですもんね。
なので短期的に問題を和らげる案として「傷つきやすい人はSNSの利用の仕方を工夫した方が良い」という考え方がありそうです。
だって悪いのは向こうじゃないか!!
と、いくら訴えたところでそういう人は急にはいなくなりませんから。
日頃から色んな価値観に触れる
傷つきやすさを緩和するにはどうすれば良いか?なんですけど、一つは色んな価値観に触れる事だと思います。
自分にニッチな趣味があるととてもわかりやすいんですよね。
ニッチな趣味ってのは理解者が少ないので大きな輪に入れることが少ないです。
よく自分の体験談として使うのですがヴィジュアル系というムーブメントがありました。
僕はかなりズッポリと傾倒しまして、当時はSNSなんかもなかったもんですから本気で趣味を分かち合う友達どころか話し相手すらいませんでした。
それどころかキモい!意味わからん!という蔑称の対象でもありました。
売れている人たちもいましたが、あくまでそれはムーブメントとしての受け入れられ方であってコアな部分までの浸透ではありません。
そんなもんだよな。
好き嫌いが人と違うだけだから仕方ない。10代の頃からそういう考え方が身につきました。
自分の好きなものをバカにされる。
そんな経験が日常で生きてきたんです。
それは同時に色んな価値観があるんだな。という学びにもなってました。
好きになってくれたら嬉しいけど
好きになって欲しい!とはあまり思ってないんです。
嫌いになる自由だってあるもんね。
自分の「好き」をなじられる。
それに慣れてしまうのではなくて、そんなこともあるよなと受け入れることができる。
SNSにおける傷つきやすさ耐性にちょっと繋がると思いません?
"お気持ち"の容量を減らす
傷つきやすい人、に限らずもちろん攻撃的な人もSNSには向いてません。
こっち方面の予防にもなるなぁと思うのが"お気持ち"の制御です。
人は感情の生き物だよ。
なんてわかりきったことを盾に気の赴くまま、気に入らない事を気に入らない!と振り翳し、他者を攻撃する。
自分に正義がある!と確信している時にはその"お気持ち"は肥大化しやすいので気付かぬうちに暴力的になってたりします。
普段は理性的な判断ができる人でも感情が折り重なると、いやいやそれはちょっと違うんじゃね?という事を発信してる事も少なくありません。
吐く場所を考えると良いかもしれません。公の場で吐くというのは料理の上に吐いてるようなもので(汚い話ですがw)
おいおいおいおい、どこで吐いてんねん!!吐くならトイレや洗面所(クローズな場所)、せめて自分のタイムライン(自分の食べ物の上)で吐けよ!!吐いたら掃除(フォロー)もしろよ!といったところでしょうか。
これからの時代、多様性なんて謳う以上は想いは踏み躙られるもんだから耐性つけとくといいよ。って話と吐き方について少々、、の本日でした(^^)
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「絶望と共にenjoy」を理念とし、日々を生きやすくする発信を毎日しています。
(こちら僕の信念と理念です)