ショートショート『取り消せ』
仕事帰りの夜、私はいつも通り電車に乗ろうとしていた。
ホームに着くと、ちょうど電車のドアが開いたところだった。
駆け足で乗り込もうとした瞬間、ドアの向こうに立っている大柄の男性に気づいた。
彼の存在感に圧倒され、一瞬ためらった私は、別のドアから乗ることにした。
電車の中は混んでいて、私は空いている席を見つけて座った。すると、その大柄な男性も同じ車両に移動してきて、隣に座ったのだ。彼は何かを呟いているようだったが、雑音に紛れて聞き取れなかった。
電車が走り出すと、彼の声が次第にはっきりと聞こえてきた。男性は低く、冷たい声で「取り消せ、取り消せ」と繰り返していた。私は背筋に冷たいものを感じ、次第に恐怖が募っていった。見知らぬ男が何を「取り消せ」と言っているのか全く分からないが、その言葉の執拗さが不気味だった。
私の最寄駅に到着すると、私は足早に降りて家路を急いだ。振り返ると、男は降りてこなかったことに少し安堵した。
家に着くと、まず玄関のドアをしっかりと閉め、鍵をかけた。深呼吸して落ち着こうとしたその時、スマホが鳴った。見知らぬ番号からの着信だった。少し躊躇ったが、恐る恐る電話に出てみた。
「取り消せ、取り消せ」
受話器の向こうから、あの男の声が聞こえてきた。私は驚愕し、急いで電話を切った。スマホの電源をオフにし、部屋中の電気をつけて明るくした。それでも恐怖は収まらなかった。
気を紛らわすために、イヤホンをつけて音楽を聴くことにした。音楽に集中し、なんとか恐怖を忘れようとした。疲れが溜まっていたのか、いつの間にか眠ってしまった。
数時間後、ふと目が覚めた。イヤホンを外し、静寂が部屋を包む。そこで、耳元から聞こえる声に気づいた。
「取り消せ」