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CancerX Story ~星倉裕文 編~

CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第14回はCancerXメンバーの星倉裕文です。
(冒頭写真 最前列右:本人、最前列左:祖父)


私のキャンサーストーリー

私が15歳の時、がんで祖父が亡くなった。
祖父はとても不器用な人だったが、他人になにかをしてあげるのが大好きで優しい人だった。
この記事を書くにあたって実家で一緒に写っている写真を探したが、不器用な性格だったせいか2ショットの写真は見つからず。
母と写真を探しながら祖父の話を聞いていると、孫と関わるのがあまり得意ではなかったけれど、いつも孫のことを考えお祝い事などのときには必ず「なにかしてあげたいんだけど…」と連絡があったこと教えてくれた。

前立腺がんに罹患した祖父は治療をしながら元気に過ごしていたが、ある時かかりつけのクリニックで背中や腰が痛いことを相談した。
大きい病院を紹介され検査をした結果、食道に転移していることがわかり主治医にすすめられ手術を決意した。
お見舞いに行った時は笑顔も見られ、「良くなったら今年の夏はまた長野の別荘でゆっくり過ごしたいな」と話をしていたが、日に日に痩せていく姿に少し不安を感じたのを覚えている。

そして、手術2日前の夜中に吐血し急逝。74歳だった。

急変の連絡をもらい両親と実家から約1時間車を走らせ病院へ向かったが、移動中の車内で病院から電話があり、亡くなったことを知らされた。
私も父も、助手席で号泣している母をただただそっと見守ることしかできなかった。
病院に到着してベッドで寝ている祖父を前にしても、自分と近い存在が亡くなったことが初めてだった私は亡くなったという実感が湧かなかった。

後日。お通夜が終わり兄と葬儀場に泊まり線香番をしていた。
0時を過ぎた頃、ホール横の個室で仮眠を取るため布団に入った時、棺のあるホールから突然「バタン」と大きな音が聞こえた。
兄と2人で見に行ってもそこに変わった様子はなく、ホールにきれいに並べられた椅子に腰かけ少し話をしているとき、倒れるはずのない遺影が手前に倒れていることに気がついた。
不器用な祖父のことなので、「ありがとう」と伝える方法だったのかもしれない。
兄とそんな話をしていたら急に亡くなった実感が湧き、涙が出てきた。

CancerXに参加したきっかけ


CancerXメンバーの糟谷明範に声をかけてもらい、CancerXのスローガンにもなっている「がんと言われても動揺しない社会へ」や「がんの社会課題の解決に取り組む組織」に共感し、CancerX Summit2020にボランティアとして参加した。

CancerXに声をかけられたのと同時期に訪問リハビリテーションで担当していた患者さんが亡くなったのも参加するきっかけになった。
その患者さんは仕事が忙しく現役時代にはあまり休みがなく、定年退職後の楽しみとして奥様と旅行で色々なところへ行った。奥様は写真を撮るのが趣味で、彼は奥様の撮った写真をもとに油絵にするのが趣味。

毎週、訪問するたびに描いた作品を用意し「この絵はね…」と、ベッドに横になったまま、奥様も脇のソファーに座り一緒に旅行の思い出話をしてくれた。
それまでの私はがんの方に介入した経験が少なく、その患者さんは末期だったため、自分自身の知識・技術・経験などが足りず、亡くなるまでの介入で「何もできなかった」という感覚だった。

後日、弔問した際に奥様より
「あなたが毎週来て昔の話を聴いてくれることが、主人にとっては痛みや辛さを忘れさせてくれる時間だったみたい。主人も私もあなたが来て話を聴いてくれなかったら昔のことなんて思い出すこともなかったから最期に良い時間を一緒に過ごせました。ありがとうね。」と言葉をかけられた。

リハビリテーション=“機能訓練”や“改善させる”イメージが強いが、実はリハビリテーションとは概念であり、「その人らしく生きる心構え」と言えばわかりやすいだろうか。
障がいや病気があっても本人がどうしたいか、どうなりたいかが重要である。
この患者さんの場合は、限られた時間の中でご本人やご家族と昔の思い出に浸り、奥様とのこれまでの時間を思い出し、過ごした時間や人生において良い時間だったと思ってもらえたのなら少しは私も役に立てたのかなと思えた。

「理学療法士の前に1人の人としてできることは何か?」を考えた時にCancerXの活動を通して多様なメンバーと一緒に活動することで、がんに対する知識を増やし、様々な活動を知り学び、より多くの方にもがんのことを知ってもらいたいと思った。


今後の展望

FC町田ゼルビアサポーター向け「認知症サポーター養成講座」講師

私は、現在、地元の東京都町田市で仕事をしており、様々な地域活動にも参画しているが、認知症関連の取り組みについては特に力を入れている。

認知症は現在、世界的にも急速に増加している健康問題であり、特に高齢化が進む日本では、認知症の発症率が上昇している。
2025年には"高齢者の約5人に1人が認知症になる"と見込まれており、家族や介護者、介護サービス等だけで支えていくのは難しく、近所の人、自治会、地域で見守り支え合う必要がある。
そのためにはまず認知症を正しく理解し、偏見を持たず多くの方に関心を持ってもらう必要があり、市内での講演活動やイベント運営をしている。

「認知症=何もできない」わけではなく、人によって症状は異なる。
そして必ず初期段階があり、すべての人がよくイメージされる重度な認知症の症状が出ているわけではない。
誰しもが思う当たり前のことであるが、認知症の人にも“やり続けたいこと”、“やってみたいこと”、“行きたいところ”はある。そのプラットフォームを構築するために啓発活動が重要だと考えている。


認知症当事者と行きたいところへ行こうプロジェクト


「サッカーをスタジアムで観戦してみたいな」

ある認知症当事者の男性が通所先のデイサービスで何気なく言ったことで始まったプロジェクトがある。

町田市にはFC町田ゼルビアというJリーグのチームがある。
認知症のイベント等には快く協力をしてくれていたが、認知症に対する知識を深めたいということでスタッフ向けの認知症サポーター養成講座を企画実施した。

私たち医療介護福祉の専門職が認知症当事者とサッカーを見に行くだけでは啓発にならないと考え、実際のFC町田ゼルビアのファン・サポーターの方にも参加してもらったらどうかとアイデアが出てクラブ側と打ち合わせを重ねた。
事前準備としてファン・サポータの方向けの認知症サポーター養成講座をクラブハウスで実施し、認知症を知ってもらうきっかけになった。
「認知症当事者と行きたいところへ行こうプロジェクト」と題し、後日観戦ツアーを実施し数名のファン・サポーターの方が当事者と一緒に観戦してくれた。
認知症当事者の男性はとても楽しかったようで「また行きたい」と。
参加してくれた方も「認知症の方って思っていたよりも全然普通に関わることができました。楽しかったです。」と。

人は誰しも関心がないことについては「タニンゴト」になっている。ましてやイメージや間違った情報で偏見を持つ人もいる。
自分が当事者になってみて、家族や大切な人が当事者になってみて、何か興味を持つきっかけがあって、初めて「ジブンゴト」になる。

2人に1人はがんになる時代。
がんも認知症も誰にでもなり得るものだからこそ日頃から「ジブンゴト」として捉え、何か行動に移すのは難しいことだが、行動できなくても知っておいてもらうだけでも少しずつ社会は変わると信じている。

まずは少しの関心を持つことから。

プロフィール

星倉 裕文 Hirofumi Hoshikura
(Photo by.山田真由美)

クリエーティブカミヤ株式会社 介護事業部 部長
一般財団法人 訪問リハビリテーション振興財団 研修班 副班長
Total Care Beauty Association 理事

理学療法士
キャラバン・メイト
認知症ケア指導管理士
認知症ケアまちづくりファシリテーター

1986年生まれ。東京都町田市出身。
2009年に理学療法士免許取得後、総合病院で7年勤務し地元町田市で知り合いの訪問看護ステーションの立ち上げを手伝う。
2015年訪問看護ステーションに転職し勤務しながら町田市の地域関連事業に関わる。
2021年クリエーティブカミヤ株式会社へ転職し、現在は介護事業部長として介護事業のマネジメントと在宅でのリハビリテーションを担当する傍ら、認知症や介護予防、その他講演会での講師活動や地域関連事業でのイベント運営も行っている。
一般財団法人訪問リハビリテーション振興財団では研修班に属し、全国のリハビリテーション専門職に向けた研修会の運営に携わる。

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