見出し画像

食べれなくなっていった時

様々な食べられない時期

入院前の食べれない時

母は肺がんでしたが、最初の症状は腰痛でした。最初はぎっくり腰程度で、近くの整形クリニックへいって鎮痛剤や一時的なステロイドを点滴してもらっていました。しかし、徐々に腰痛は増強していき、歩くのもままならない状態となりました。そして、なぜか食べれないという症状がありました。常に胃や喉に違和感があり、嘔吐まではいかないまでも、常にもやもや。水もなかなか飲めずでした。
その後病院へ行き、各種検査、採血、CT、内視鏡など行い、結果的にはステージ4の肺がんという診断だったのです。
おそらく悪液質による食欲低下だったのではないか?と今思うとそう感じます。体重減少もあったし、腰もかがんでいたというか、痛みはもちろんあったから背筋は伸びなかったのですが。体重減少もあったでしょう。測定はしていないです。だってあきらかに頬がこけていたから、見るまでもなかったです。

入院中も食べれたり食べれなかったり

入院直後は食べれず自宅にいたときも水飲むのもやっとだったので、脱水があり、点滴をしてもらっていました。癌による痛みに対して医療用麻薬を導入し、少しずつ歩けるようにもなっていきました。
調子のいい時は食べれてくるようになってきました。
しかし、嘔気やなんとなくのもやもやした違和感がすっきり取れることはありませんでした。
担当医にも伝えましたが、CTでは問題なさそう。もっと詳しく調べるなら内視鏡(胃カメラ)をすることになるけど、どうかな?と。
入院前に受けた胃カメラでかなり痛い思いをした母なので、断固拒否でした。先生もカメラをしていない段階でなんともいえないけど、なんで食べれないんだろう?と首を傾げてはいました。
私もよくわかりませんでした。母が好きなもの、例えば、サンドイッチやアイスは結構食べれるのです。でも病院食の味が合わないものは、あまりうけつけないようでした。好き嫌いの問題でもなく、やっぱり嘔気があったりなかったり、なんともすっきりと喉や胃はしていないようでした。

分子標的薬(タグリッソ)内服開始からの食欲低下

この薬が開始になってからも、食欲はあまり改善されませんでした。(食欲が回復するお薬ではないです)一時食事量は少し戻った時期もありましたが、何か常にすっきりしないというか、すぐにお腹いっぱいになるし、時々唾液が上がってくる感じがする、といっていました。
途中からはタグリッソみただけで、吐きそうになっているときもありました。ちょっと休憩しよう、ね。といって、減量したり、スキップしたりしていました。(医者には内緒です・・・)

最後の時の食欲低下、食事が喉を通らない

最後3週間前ぐらいでしょうか。意識も朦朧とし、会話内容もよくわからず、聞き取れないし、何をいっているのか辻褄が合わない状態でした。尿も自分で出せなくなり、訪問医に休日にきてもらって、カテーテルをもってきてもらいました。うちには人にまったく懐かない柴犬大吉君がいるので、訪問看護は入ってもらってませんでした。なので、先生も「僕男だし、娘さん(私のこと)看護師さんでしたね、入れますか?」とのこと。「はい、私カテーテルいれときます」みたいな、変なやりとりをしたのを、今でも覚えてます。
その頃から、あまり食べれなくなりました。むせもでてきていたし、むせがでる前も、ほんの数口食べれればいいほうでした。なんとなく食欲がないようでした。というか、食べることを止めていっている、そんな感じでしょうか。なので、水分とか、食べやすいゼリーやプリン、好きな羊羹、お豆腐なんかを介助していました。
けど、介助することにも疑問をいだいていました。

食べれなくなってきているのは自然なのに、介助して食べてもらうことは、これは私のエゴではないのだろうか?

それでも、一口でも食べてくれると嬉しいし、何より、介助をしているとき、足をベッドから下ろして腰掛けるようにしており、自分では姿勢を保てなかったので、私が腕や体で支えていたのですが、母の体のぬくもりを感じていて、それが、まだ生きているな〜あったかいな。ってその感覚を感じたかったのかもしれません。
でも無理して食べさすことはしませんでした。誤嚥するのも危ないし、そんなことは母も望んでいないことはわかっています。
母が好きだったものを、少しずつ、むせない程度に、その程度にしておきました。

食べれないのは最後の準備期間

心に残る言葉

「お体が上に上がるための準備をされているんですよ」

訪問看護で亡くなる方が食事を食べれなくなっていく過程にご家族様は不安を感じられ、なんとか食べさそう、水を飲んでもらおうとされる方もおられます。よくわかります。今までとは違うお体の変化にお気持ちがついていかないですよね。
そんな時先輩がこのような言葉でご家族様に接していました。この言葉に私も少なからず救われていました。そしてしっくりきました。

どこまで医療が介入するべきか

食べれなくなってくると、医療行為としては、点滴や胃瘻(PEG)などで注入食をいれる、というのが選択肢に入ってきます。考える時期がきます。
しかし、体の自然な経過に対して、どこまで医療が介入すべきなのかは考えないといけないでしょう。自然にあがらうことはできないのです。その時期にあがらうと、お体に負担をかけることになってしまいます。

ご近所さんで胃瘻を作って後悔にしておられる方がおられます。旦那様が誤嚥性肺炎を繰り返されており、胃瘻を作りご自宅で注入食をいれていました。
しかし、排便コントロールも難しく、ADLも低下し、褥瘡ができ、亡くなられました。
ご家族様、奥様や娘様は、胃瘻作るんじゃなかった、と言われていました。
(様々な状況ありますので、胃瘻を作ることを全否定しているわけではなりません、手術前に体力を戻すため、また術後の創部保護のために一時的に胃瘻や腸瘻を作ることもありますし)

看取りの疑問点

今回は、「食」について書いてみました。食事って基本的欲求ですし、食べれなくなっていく過程を見るのは辛いかもしれません
でも、これは自然の流れなのです。亡くなる直前までもりもり食べれる人はいません。突然死でない限り。
やはり、人として自然な形を送ってもらいたいと、そう思います。

他の人はどうなんだろう?どう思ってるのだろう?うちだけの悩み?
いろんなご意見や不安、あると思います。

「親の看取り意見交換会」
2022年11月3日(祝、木)14:00〜16:00予定
ZOOM

お時間調整つく方、よければ、是非


癌治療に対して様々な症状がでてきます。その時々の心のあり様や私の実際の体験をメルマガでお伝えしています。


いいなと思ったら応援しよう!

安心できる介護へのロードマップ/山川 さちえ
サポートはすべてがん介護のサポート活動にあてさせていただきます。 背中を押していただけると、嬉しいです