最初に決めた事を続けないといけないって誰がきめたのだろう?
治療や療養場所に、選択をそれぞれしていく
健康に生きる為、健康に生きる道の1つの方法に、自分を信じる、信じれる、大事だと思います。でも、本当にそうかな?ちょっと考えてみました。
人生にはいろんな選択肢があります。それは治療に関してもそうです。もうめちゃくちゃ選択肢がありすぎます。そもそもの健康診断を受けるかどうか?という最初の段階から始まります。そこから医師の説明を受けに行くのか、聞かないのか、家族だけがきくのか、どこの病院にするのか、どんな治療があって、なにを受けるのか、受けないのか、入院するのか、しないのか、では入院しないでできる治療があるのかどうか?在宅で過ごせるのか?病院で過ごすのか?
迷う時、後悔する時どうする?
例えば2つの治療があり、医師はAを進めるけど、副作用のこともあり、Bが気になる。でも、Aにしておけばよかったと後で思うかもしれない。仮にBにして、治療効果があまりでず、先生のいう通りAにしておけばよかった。
もしくは、Aを選択して、治療効果はでているけど、副作用がとてもつらい。吐き気や倦怠感がでる。味覚も変わって、ご飯が食べにくい。水も変な味がする。こんなとき、Bにすればよかったかもしれない。
もうここに答えはないと思います。どっちにすればよかったのか、やってみないとわからない。ここで問題なのは、自分で決めていないということがあると思います。
Aなら、Aって先生がいったから
Bなら、あのときAにしていればと自分を後悔
迷っていい
私は迷っていいと思います。自分を信じること、答えを出すことを正解とするから辛くなるのではないかと、思います。振り返るとそんな気がします。
母は最初抗癌剤は内服だけ。点滴はしない、そう決めていました。私もそれでいいと思っていました。今でもそう思っています。進行度としても、”治癒する可能性<副作用”の状態でした。というか、完治はなかったのです。
なので、在宅で療養していました。しかし、ある日、母の友人から、変な薬?サプリかな、パンフレットが送られてきました。免疫力をあげるとかなんとか、なかなかの高額商品でした。おためしで、1回目はまぁ手が出せる金額ではありましたが、怪しさ満点。名前は忘れてしまいましたが。
しかし、母は「これどう思う?〇〇ちゃんが送ってくれたから、大丈夫だと思うけど」というのです。おそらく、効果がないと思っていると思います。これはおそらくですが、でも、すがりたかったように思います。その時ちょうど、腫瘍マーカーの低下が見られず、平行線の状態でしたから。少しでも下がって欲しい、そんな思いがあったと思います。
でも、なんとなく、迷っている自分をダメ・よくない、と思っているようにも見えました。
していたのかもしれません。
でも、迷っていいんですよね。私も、実は「えっ?怪しさ満点やけど飲むつもり?」と思ってしまっていました。それはそのサプリに対してというより、母も看護師でしたし、内服だけで治療をする、と決めたのに、迷ってるの?と、
でも、人の心は、機械じゃないんですから、迷っていいんですよ
最初に決めた事を続けないといけないって誰がきめたのだろう?
そんな決まりどこにもないんですよね。今までの生活でそう思い込んでいるだけかもですね。
よく、石の上にも3年、っていいますね。辛抱してやれば、身に成る。
自分を○する、OKする、認める、これが私なんだから、そう思えることが健康だと考えます。ただでさえ、がんの治療は辛いことが多いです。それなのに、ご自身も責めてしまっては、更に辛くなってしまいます。迷っていい、それも自分。
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