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【金文の書道史】時代の変化が訪れた

みなさんこんにちはcanaeです('ω')ノ

今日は金文きんぶんやっていきましょー



金文きんぶん甲骨文字こうこつもじと同じくいん~周時代にさかえた文字です。

金文きんぶんとは、青銅器せいどうきに書かれた文字のこと呼びます。
また多くのものが、器の表面ではなく”内側”に書かれていたようです。

深堀りしていきます✾


1、金文とは?


金文とは、青銅器せいどうき鋳込いこまれた文のことです。


鋳込いこむ・・・金属を溶かして型に流しこむこと



金文の”金”はゴールドの金ではなく、金属全般の金の文字という意味

それらの青銅器がかねていであったことから鐘鼎文しょうていぶんとも呼ばれています。



また青銅器の”青銅”は、銅にすずを加えた合金ごうきんで、銅よりも硬く耐久性と加工性をあわせもつ優れた素材でした。


2、青銅器の種類

青銅器は、その形によって大きく食器しょっき酒器しゅき水器すいき楽器がっきに分けられます。

いずれも、王室の儀式に使われる祭器さいきとして作られたもので日用品ではありません。

・食器

食器の名称は形によって、ていれきとんなどと呼ばれ食材を運ぶ際や、料理を置く食器として使われました。

ていは食器として最も一般的に使用されていました。
下から火を当てて温めるため、このような高足の造りになったとされています。


・酒器


酒器は、そんしゃくなどと呼ばれ、酒の入れ物に。
酒器・食器同様に他にも多くの形があり、殷・周時代では酒が好まれていたことがよく分かりますね。(*´з`)


・水器/楽器

水器はばん、水の入れ物。楽器はしょうと呼ばれ、青銅器の呼称は細かく分けられています。


例に出したもの以外でも種類があり、形によって1つ1つ名称がついています。



3、金文の内容(甲骨文字との違い)



殷時代の金文は図的なものが多かった反面、周時代になると青銅器を作る由来を記す”文章”が主流となり、青銅器自体も大きくなります。

それに伴い、文も長文化していきました。



甲骨文字は、国民の行為すべての可否について、
”神の心を問う神聖しんせいな文字”として扱われていました。


しかし金文の内容は、辞令じれい褒美ほうび征伐せいばつ・祖先の功績など事実を記した”政治的文字”です。


常に神の心として甲骨へ文字を刻し、占いで決定をしていた殷に対して
周の時代は”神を敬い、遠ざける”風潮が現れます。

国や人間自身の力を肯定した国家へ変化をしていきました。



4、青銅器・金文はどのように作られたのか?

まず、内范ないはんの表面に柄を彫り、それを粘土で包みます。
そうすると表面にくる柄が外范がいはんへ写ります。


その後内范をけずり、細い粘土で文章をさかさ字ではりつけます。
図のように、外范と内范の間に銅とすず合金ごうきんを流し込みます。

それを冷まして、外范を外すと外側に器の柄、内側に銘文が鋳込まれた青銅器が出来上がります。


☞豆知識
西周せいしゅう(周時代の前半)の金文の特徴
→丸く太めで重厚じゅうこう感があります。

対して、東周とうしゅう(周時代の後半)
→線は細く、縦長が誇張こちょうされ字形の変化が進んだことが分かります。洗練されたイメージ。


その点を意識して臨書したいですね。



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今日は金文でした('ω')ノ

青銅器の造られ方、昔の方は工夫しました。
(というか、器一つ作るのにどれだけの時間・・・愚問か(´ー`)

金文の中でよく臨書される作品については、また別に記事へしたいと思います~


それではまたね~




canae

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