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コード・ブッダを読み始めて思い出した時代

1996年。大学院を卒業した後、モラトリアムを発動して帰国を一年伸ばし、カナダのハイテク企業(OSベンダー)に勤めました。配属先は研究開発部、OSのマニュアルを作っているチームでした。マニュアル日本語化のマネージメントに「日本語わかる人間」を募集していたのです。

何を隠そう私は筋金入りの文系人間。UNIXの「ゆ」の字も知らない人間が、日常業務に自社開発のOSを使っている部署で働く場違いぶりをわかっていただけるでしょうか?「聖☆おにいさん」のサーリプッタさんが、初心者マークで首都高に乗ることを「白熱した禅問答に昼メシの話題で入っていくような」と表現をしていましたが、あんな感じ。昼メシの話題にしかついていけない新人に、禅僧たち、もとい、エンジニアの皆さんはさぞかし困惑したことでしょう。

その会社のマニュアルは、当然のようにSGMLで記述されていました。外注する日本の翻訳会社に「マニュアル原文のファイル形式は何ですか?MSワード?ページメーカー?」と聞かれて「SGMLです」と答え、「はあ?何ですかそれは?」となり、SGMLとは何かを説明できなかった私と業者の関係は、これも「聖☆おにいさん」的に言うと「父さんにバベられた後」だったのです。

しかし私は曲がりなりにも文化人類学を学び、「人生はフィールドワークである」を座右の銘として生きる人間。言葉の通じない世界でヘタれていては恩師に申し訳が立ちません。バベられた世界で少しづつ現地語(エンジニア方言)を学び、自社OSの聖典ともいうべき「システム・アーキテクチャ」を(なんとなく)理解できるところまでこぎつけたのです。

フィールドノートをコード・ブッダ風に書いてみると、

ハードウエアの陳腐化という「存在の死」を免れない組み込みシステム。POSIX宇宙の法則に従い関数真言を唱え、High Availability すなわちシステムの「不老不死」「輪廻転生」を試みるエンジニア族にとって、コーディングは彼らの死生観を表現する極めてスピリチュアルな活動なのであった。

「コード・ブッダ」を読んでいて、なんか楽しいのは、90年代後半のOS屋という特殊な環境で揉まれたおかげかもしれません。理系と文系が交差する場所に生まれる超絶面白い世界を味わえる人生、ありがたきしあわせにございます。

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