一週一話〜親父の最期〜no.29
11月7日(木)18時半ごろ、山﨑博志が他界した
享年75歳、おじいちゃんと全く同じ病気で
亡くなったらしい
お医者さんから早くて6ヶ月と、余命宣告
されたけど、蓋を開ければその半分だけの
余生やった
東京と大阪で、中々行けなく
生前、最後に会ったのは亡くなる4日前やった
一ヶ月前に会ったときよりも病状は酷く
医療用麻薬を使っていたので、せん妄の
現象が強く現れていた
もう俺が知っている親父ではなかった
病室に入ると、目を瞑りながら
うぅ〜と唸っていて、右手を上にずっと
上げて、左手はパイプを弱った握力で
握りしめていた
おそらく、辛い幻覚をみていたんやと思う
その右手を直ぐに握りしめて
親父、東京から来たで!
よう頑張ったな!もう無理せんでいいから
親父が一番楽になれるように
ここの人にお願いしたらいいから
と言った
幻覚によって、うなされていたのが一変、
開けられない目から、涙が沢山溢れ出た
肥えてた親父も、あのときは30kgぐらいで
太ももは女性の腕の太さまで痩せ細っていた
それもそのはずで、一年以上飲食できず
胃ろうで栄養をとっていたから
そんな弱々しくなった親父が
手が痛むくらい強く握り返してきたのを
鮮明に覚えている
もぉえぇわ、もぉえぇわ
と細く小さな声で言い続けていた
最後には、ありがとうなと3度ほど
言ってくれた
多分やけど、唯一の子どもである僕
と会えて、もぉやり残したことはない
ということやったんかなって思う
いろんな感情が入り組んで、僕も弱り
かけたけど、一番辛いのは親父本人やし
僕の役目は親父に心配をかけない
ただそれだけだと、ずっと思い続けていた
から気丈な態度で、身体を沢山擦り
親父の心が楽になるだろう言葉を、できる限り
浴びせた
病室をでると、看護師さんから
他界したときの細かな業務を1時間
打ち合わせしようと言われたが
僕があまりにも気丈だったため
半分の時間で済み、担当の方は
おそらく、冷たい人間だなと思ったと思う
東京に夜行バスで弾丸に戻り
またその朝から、何も無かったのように
いつもどおり仕事に明け暮れた
4日後の朝、病院から電話がきた
早くて今日中、長くても週末までもつかどうか
とのこと
直ぐさま駆けつけようと思い
一瞬、お店を閉めて行こうかと考えた
でも、親父なら、周りの人たちのために
仕事を優先しろ!と言うだろうと思い
立ち止まって、看護師さんに
その時がきたら連絡を下さいと伝えた
その夜、
亡くなったと大阪の病院から連絡があった
もちろん、そのときは営業中でワンオペだった
お店の早閉め、夜行バス即予約、お通夜、お葬式、、、全てを瞬時にできたのも
他界したという事実をいち早く認め
普段から、死生観と向き合っていたから
冷静に事を進められたんだと思う
大阪に着き、お棺に入った親父の寝顔は
安らかやった
痩せ細っていたけど、また起きてくるん
じゃないかと思うくらいの表情やった
うちの家庭は、僕が小学生のときに離婚し
離婚後も、月に一度は親父とすごし
いろんな遊びにも連れてってもらった
結婚式も両家の親族がきてくれて
離婚しようが、僕にとっては大きな
唯一無二の親父やった
息子が言うのもよくないけど
あれだけ子どもが大人になった大人は
今まで見たことのない、そんな親父やった
離婚した原因の一つもそこにあるが
めちゃめちゃ尊敬できる面が多かった
人の悪口を言わず、どんなときも前向きで
楽しもうとする姿勢は異常やったぐらい
誰とでも仲良くなり、時には
見るからにヤンキーの中学生7人と
友達になったと言って、テレビ電話で話すと
そこは居酒屋で。。。
聴くと、ファミマで煙草を1箱くれたから
その勢いで行ったらしい(笑)
仕事は40度近くの発熱でも休まずに
無遅刻無欠勤を貫き通していたし
嘘を全くつけない、真っ直ぐな人やった
反面、お酒や煙草はめちゃめちゃで
常識曲がりなことをしすぎて
周りが大変なことも多々あった
でも、人一倍優しい人やった
最後の最後まで、うちのかみさんや
子どもたちのこと、おかんのこと
うちのお店のことなど
自分のことは全く気にせず
周りのことばかり気にかける人やった
離婚したおかん、山﨑家みんなが
僕の結婚式以来、勢揃いした
お通夜、事が済んだあと
20名弱で親父の前で宴をした
みんな昔話しを沢山したり
近況を報告し合ったり、最高な時間やった
うちは両家共に、凄く仲が良く
僕は一人っ子なので、特に親戚が大好きで
でも一番喜んでいたのは、親父やったと思う
生前、毎度のこと親父は、みんなで飯食って
酒飲みたいなって言っていた
遺影をみて飲んでいると、何だか
親父がより笑顔になっているような気がした
みんな帰っても、夜中まで一人で飲んだ
親父と二人で飲む最後のときやと思って
翌日、お葬式
喪主として話した
泣かないでおこうと思ったけど
どうしても涙が流れた
それでも、僕の後ろにいる、お棺に入った
親父が、強くあれ!と言っている気がして
気丈を取り戻せた
最後の別れのとき
冷たくなった親父に、みんなで花を
沢山被せて、綺麗に彩った
火葬もあっという間で
お骨拾いも無事に終わった
75年間、ホンマに頑張ったんやと思う
心からお疲れさまと伝えた
親父とおかんの間に生まれて
本当に幸せだなと改めて思った
離婚し、学校や留学も自分のお金で行き
他人からみたら、幸せでないかもしれないが
そんなことは僕にとって下らなくて
誰よりも愛情を与えてくれた人たちやった
から、ここまでこれたんやと思う
人生はあっという間だ
命は尊くもあり、儚いものでもある
親父は寿命で他界したけど
いつ何が起こるかわからない
僕のまわりには、早くして他界する人も
沢山いる
とはいえ、いつか人は命が尽きる
これは紛れも無い真実で
避けることはできない
生きれば生きるほど
良いこともあるが、悪いことも沢山ある
でも、そんなことは死ぬことと比較すると
大したことではない
親父みたく、僕も死に顔は安らかにいたい
だからこそ、どんなときも親父のように
前だけ見て、挑戦していこうと思う
遺品整理、その他諸々で大阪に帰ってきたが
今は夜行バスで東京に戻っているところ
また明日、朝着いたら
何事もなかったように、目まぐるしい日常
がリスタートする
全て終えたら、一人でお酒を飲んで
親父を偲ぶ会を開こうと思う
また天国で会おう!
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